「ロボッツの1番」と言えば一色翔太を思い出す人も多いのではないだろうか。

 地元茨城県出身の一色選手は、美しいフォームから放たれるアウトサイドシュートとバスケッ トに真摯に向き合う姿勢でロボッツファン・ブースターを虜にした。 2017-18シーズンに惜しまれながら退団、移籍した後もB3の東京海上日動ビックブルー(以下、東京海上)でプレーし活躍するも2020年2月17日の試合を最後に現役引退を決めた。

今回はそんな一色選手に特別インタビューを実施、2回に分けて紹介する。前編では、ロボッツに入ったきっかけや印象的な出来事、プロ選手としてプレーする中で感じた気持ち変化について聞いた。

プレータイムが得られない中、求められているチームで試合に出たいという気持ちで移籍を決めました。

ー2014年のシーズン中にロボッツに加入しましたが、どのようなきっかけだったのでしょうか。

最初は千葉のチーム(現:千葉ジェッツふなばし)に所属していて、その後茨城に来ました。前から地元の茨城にチームがあることは知っていました。当時つくばロボッツは前運営会社が経営破綻をして選手が一気に抜けた大変な時期で、現GMの上原さんが入ったり、社長の山谷さんがリーグ理事を辞めて社長になったり、バタバタしているタイミングでしたね。

それと同時に僕自身もちょうど所属していた千葉でなかなかプレータイムを得られず、そのタイミングでロボッツからレンタル移籍という形でオファーをいただきました。僕としても求められているチームがある、試合にも出たいという気持ちも強かったので、シーズンの後半戦からロボッツに移籍することを決め、合流したことがスタートですね。

ー当時のロボッツの印象はどうでしたか。

その当時は正直何かを考えている状況ではなかったですね笑。今週の試合どうなるのかなとか、遠征先に行けるのかなという不安が多かったです。当時選手は関東近郊であれば現地集合で、自分にとってロボッツでの一番最初の試合がアウェーで東芝ブレイブサンダース神奈川(現川崎ブレイブサンダース)だったので、川崎市のとどろきアリーナに現地集合でした。夜の試合だったのですが、今のようにお客さまがたくさん入っている試合ではなかったです。会場がガラガラの中、対戦相手がロボッツということもあり全然人が入っていなかったのを覚えています。

その翌週がつくばカピオアリーナでのホームゲームで、和歌山トライアンズとの対戦でした。お客さまも200人ぐらい、純粋なお客さまの人数で考えると100人ぐらいですかね。当時、ロボッツは開幕から22連敗していたのですが、その試合で勝ってシーズン初勝利をすることができたことは印象に残っています。

いろいろなことを考える余裕はなく、プレーできることが嬉しかったのと、"なんとか勝ちたい"ということだけを考えていました。

ー地元のチーム、地元のアリーナでプレーしたことに関する思いや気持ちはありましたか。

和歌山との試合で、僕自身初めてつくばでプレーをしたのですが、その時はいろいろなことを考える余裕はなく、自分が選手としてプレーできることが嬉しかったのと、なんとか勝ちたい、ということだけを考えていましたね。

その時のロボッツはプロになりたくてウズウズしていた選手や、僕みたいな試合に出られずにくすぶっていた選手が多かったです。なので割と目的や向かう方向はみんな一緒で結構ガツガツしてました。大変でしたけどそれはそれで楽しかったですね。

ーその当時のメンバーでまだ連絡とっている人はいますか。

そうですね。八王子(東京八王子ビートレインズ)にいた夏さん(夏達維選手)とかは2シーズンぐらい一緒にやっていたので、たまに連絡とりますね。

ー大変な時期も多かったと思いますが、ロボッツに来て良かったと思うことはありますか。

移籍した最初のシーズンは5勝、6勝ぐらいしかできませんでした。当時はアイシン(現シーホース三河)や東芝(現川崎ブレイブサンダース)、トヨタ(現アルバルク東京)という現在でも日本を代表するチームと同じリーグで試合をしていました。僕はロボッツに来るまでは試合に出ても5分、10分という選手だったのが、ロボッツでは30分近くプレータイムをもらえるようになって。

そういう強豪チームと同じコートで試合をできたということが嬉しかったし、自分のレベルアップにもつながったなと思っています。試合に長く出られる環境に入れたということが一番良かったですね。

200人だった観客が1,000人になって2,000人になって。シュート決めた後に起こる「ドッ」と地鳴りがするような歓声はプロ選手でないと味わえない感覚でした。

ーBリーグ開幕にあたり本拠地がつくばから水戸に変わりましたが、そのタイミングで一色選手はキャプテンになりました。本拠地が変わったことや、キャプテンに就任したことに関して選手としてどのように感じていましたか。

2年間つくばロボッツで過ごしてからのBリーグ開幕でした。つくばと水戸で街の違いは感じていましたが、ただバスケットをやる上では何も変わらなかったですし、環境を変えてバスケットをするということには慣れていたので僕自身はそこまで困らなかったです。

プロのキャリアでキャプテンになったのは2016-17シーズンだけでした。でもキャプテンだから特別何かがあったとかはあんまり考えなかったです。試合に勝った瞬間とかはやっぱり嬉しいですし、練習がきつかったり、勝てないと辛いですし。当たり前のことなんですけど笑

ーBリーグになったことで観客数が伸びているチームもあると思うのですが、ロボッツではどのように感じましたか。

お客さまの数はロボッツもすぐ変わったと思います。200人だったのが1,000人くらいになって。あとプレーしている中での歓声の量が違いましたね。特に2,000人が入った試合は200人の時と比べると変化は大きく、すごく嬉しかったですし迫力を感じました。

ー観客が増えれば歓声の量も変わると思うのですが、プレーへの影響はありましたか。

個人的な感覚ですけど、自分が良いプレーをして良いタイミングでシュート決めた後に起こる「ドッ」と地鳴りがするような歓声はプロ選手でないと味わえない感覚だと思います。自分が好きでやっているバスケットをお金を払って応援してくれるファン・ブースターの皆さまには本当に感謝しかないです。その歓声というのは大きければ大きいほど嬉しいですし不思議と力が湧いてきますね。

ずっと変わらず応援してくださる方々のエネルギーは「ありがとうございます」という言葉では表せないくらい感謝しています。

ーファン・ブースターとの関わりの中で思い出に残っていることはありますか。

千葉、茨城、東京海上でもプレーさせていただいていただいたのですが、ずっと変わらず応援してくれる方もいらっしゃいます。茨城からだけでなく遠方から見に来てくださったり、東京海上では都内での試合、引退試合となった岡山での試合にも応援に来てくださった方がいました。

自分が逆の立場だったらそこまでできないなって思います。ファン・ブースターの皆さまの行動力、エネルギーは「ありがとうございます」という言葉しか出てこないのが申し訳ないくらい感謝しています。

ー一色選手はロボッツで試合の他にバスケットスクールの講師もされていたと思うのですが、キャプテンとして様々な活動をする中で地元への思いや心境の変化などはありましたか。

僕に限らず他の選手もそうかもしれませんが、年を重ねるごとにベクトルが自分だけではなくなってきましたね。自分が試合に出られたら良いのではなく、チームやファン・ブースターの皆さまに対する関わり方も変わってきましたし、視野も広くなってくるのでいろいろ考える中でいろいろな人に支えられてプレーが出来ることに対するありがたみも年々わかってきました。

<後編に続く>

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