【#1 小島元基】亡き父に導かれ、故郷で挑む新章

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取材・文:小沼 克年|text by Katsutoshi Onuma
写真:茨城ロボッツ、B.LEAGUE|photo by IBARAKI ROBOTS, B.LEAGUE

「元気なうちに地元へ帰ってこい」

入団会見の場で加入の決め手を問われた際、小島元基は父から言われた言葉を引き合いに出した。
茨城県つくば市出身の31歳は、今シーズンでプロ10年目を迎える。1つの節目であり、年齢的にも「この先、自分はどうしたいのか」を自問する時期でもある。このタイミングでロボッツから受けたオファーは、確かに心の奥底を揺さぶった。

目次

悔しさの中に見つけた達成感

バスケキャリアの分岐点には、常に父の存在があった。

高校進学の際は「ごくごく自然な流れ」で、つくば秀英高校の門を叩いた。父である基浩さんが教員を務めていただけでなく、2つ上の兄・優希さんがいたからだ。

1年生の時から創部初となるウインターカップ出場に貢献した。高校生活で印象深いのは、最終年に味わった悔しさだ。3年生は夏が終わると、引退する選手と冬の全国を目指して部活を続ける選手に分かれる。

「自分は当たり前のように残ろうと思っていたんですけど、同期は受験勉強のために結構引退したんです。親父には『お前が残ったとしても何がチームのためになるんだ』って言われて(笑)」

小島は当時を思い出し、思わず頬が緩んだ。

「その時は本当に好き勝手にプレーしていたんです。だから親父は、後輩のためにならないと思ったんでしょうね。そう言われてのウインター予選だったので、今まで以上に声を出したりしてめっちゃ頑張りました」

しかし、チームは勝てば3年連続の出場が決まる決勝戦で、76-75で敗れた。

「ラスト10秒くらいのラストショットを自分が外しちゃって……」

後輩たちを全国へ導くことはできなかった。けれど小島には、敗北の悔しさと同時に、やり遂げた充実感があった。

「大会に向けて相当な準備をしたので、悔しさだけじゃなくて『やり切ったんだな』みたいな気持ちにもなりましたね」

名門で鍛えられ、王者への階段を上る

高校卒業後は名門・東海大学へ進んだ。

「いくつかの大学から誘いはあったんですけど、ある時、親父からいきなり『東海大に行けば?」って言われて『えっ⁉︎』ってなりました。親父と監督のリクさん(陸川章/現同大学アソシエイトコーチ)は大学の先輩後輩なので、大学側も僕のことを知ってくれていたこともあって進学することになりましたね」

「不思議な感覚」で全国の強者たちが集うチームに加わると、1、2年生の時にインカレ連覇を経験。中心選手となった大学ラストイヤーでも春の関東トーナメント、秋のリーグ戦で無類の強さを誇ったが、最後のインカレでは準優勝に終わった。しかし、決勝戦では怒涛の追い上げの原動力となり、5本の3Pシュートを含む23得点をマークしてみせた。

「あの年は勝ち続ける難しさを感じましたね。でも、個人的には高校時代と一緒で『やり切ったな』って。負けてしまったので個人の結果なんてどうでもいいんですけど、終わってみれば自分が一番点を取っていましたし、4年間努力しても結果が出ないこともあるなかで、少しは結果を残せたのかなとも思いました」


大学卒業後の進路を決める際、父からの助言は少し丸みを帯びていた。

「お前のやりたいことをやれ」

 小島は当時bjリーグに所属していた京都ハンナリーズにアーリーエントリーで入団。Bリーグが開幕して2年目からはアルバルク東京へ活躍の場を移し、移籍1年目となる2017-18シーズンでリーグ優勝を達成した。

父との突然の別れに直面したのは、2019年3月だった。小島は悲しみを抱えながらも前に進み、2018-19シーズンの優勝にも貢献。Bリーグ創設から10年目を迎えた現在でも、連覇の偉業を成し遂げたのはA東京のみだ。

「改めて、すごいことをしたんだなと。けど、当時は連覇とかは全く考えていなかったです。本当に目の前の試合に勝つことにフォーカスしていて、シーズンが終わった結果、優勝したという感覚でした。練習も本当に厳しかったですけど、チームのみんなが日々の練習から集中して取り組んでいたので、今振り返るとそういった経験をできたこと自体が貴重だったと思います」

プロ10年目、故郷での新たな挑戦

A東京から移籍し、サンロッカーズ渋谷での3年目を迎えた昨シーズン、小島はプロキャリアで最も少ない12試合の出場にとどまった。2025-26シーズンは、プロ10年目の節目。自分はどうすべきなのか。数えきれないアドバイスをくれた父は天国から見守っている。だが、地元クラブから声がかかった際、記憶の奥に眠っていた父の言葉がよみがえった。

「元気なうちに地元へ帰ってこい」

 A東京で初優勝を成し遂げたあとに父から電話越しで伝えられたが、当時は心に深く刺さるものではなかった。

「チーム(A東京)に集中している時期でしたし、自分が次にどこに移籍するかは考えていなかったです。でも、ロボッツと移籍の話をしているうちに、なんかパッと思い出しましたね」

「今なのかな」と自分の直感にも頼り、小島はロボッツへの移籍を決めた。地元の知り合いや友人からはたくさんの祝福メッセージが届き、つくば市の実家に帰る機会も増えた。生まれ育った街並みは、「意外と変わらないっすね」と小島は目を細めた。

ロボッツのスピーディーなスタイルは、これまでの所属チームで主体としていたハーフコートバスケとは大きく異なる。環境、バスケットともに「180度違う」が、「個人的には一日一日良くなってるなと感じていますし、新鮮な気持ちです」と期待に満ちた様子で語った。

新天地では、より多くの期待を背負う。ポイントガードとしてのゲームメイクはもちろん、持ち味でもある得点力や激しい守備でもロボッツに新たな活力を与えてくれるはずだ。そして何より、小島の地元愛、これまで培ってきた豊富な経験値が、ロボッツの未来に新たな道筋を示してくれるだろう。

「今シーズンの目標が30勝なので、まずはそれを成し遂げたい。自分らしいプレーで貢献できたらいいなと思いますけど、現時点では新加入の身としてロボッツのプレーを覚えて、学びたいという気持ちの方が強いですね。ブースターの皆さんには、まずは僕の顔を覚えていただきたいですし、状況に応じて的確な判断ができる“正しいプレー”を見てほしいなと。『これが元基くんのプレーなんだ』って思ってもらえたら嬉しいですね」

亡き父の言葉に導かれた今回の移籍は、きっと運命だったに違いない。ロボッツとともに歩む小島元基の新章が、今まさに始まろうとしている。

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この記事を書いた人

茨城生まれ茨城育ちのバスケライター。競技歴は小3から10年間。戦績は特に残せず。Bリーグが開幕した2016年よりバスケットの取材活動をスタートさせ、2020年からはフリーランスに転身。2024年に日本のバスケとBリーグを楽しむための必読書『バスケ語辞典』(共著)を上梓。

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