文:小沼 克年|text by Katsutoshi Onuma
写真:茨城ロボッツ、東海大学男子バスケットボール部|photo by IBARAKI ROBOTS, Tokai Univ. SEAGULLS
4月25日のアウェー・島根戦で打ち立てた自己最多の17得点は、成功率100%という異次元の数字だった。「B.LEAGUE DRAFT 2026」でロボッツから1巡目2位指名を受けた赤間賢人は、我々の期待値をどんどん超えてくる。一方で、その内面はいまだにミステリアスだ。ポーカーフェイスの点取り屋はどのように生まれたのか。まずは彼が辿ってきたバスケキャリアの輪郭をなぞってみたい。


リングに魅せられた少年
本人の記憶も少しおぼろげだが、バスケットボールを始めたのは小学校1年生くらいの頃。1つ上の姉と一緒に体験教室へ足を運んだのがすべての始まりだった。
ただただ楽しくて、無我夢中で体育館を駆け回った。その中でも、オレンジ色のボールを自分よりもずっと高いリングへ放り込む、「シュート」という初めての快感に心を奪われた。
「シューティングの自主練は中学校の頃からずっとやってました。練習がない日はどこかの体育館を借りてやってたので、ほぼ毎日シュートは打ってたと思います。そのおかげで集中力がついたのかなと。」
赤間賢人の真骨頂ともいえる爆発的な得点力。その背景を紐解けば、来る日も来る日も無言でリングと向き合った、あの頃の膨大な時間に突き当たる。
「なんか上手くなってきた」。がむしゃらに得点を取りまくっていた少年が、バスケの奥深さに気づいたのは中学生の頃。「中2の終わりくらい」に地元のクラブチーム『WATCH&C ACADEMY』に入ったのがきっかけだった。元プロ選手でもある青木康平氏と出会い、教えを受けたことで、それまで感覚でプレーしていた赤間の視界は一気に開けた。
「シュート力もですけど、バスケのスキルとか細かいことを教えてもらって、技術面がすごく成長したと思います。康平さんにはチーム練習とは別に個人レッスンをやってもらう機会もあって、1つのフェイク、1つのドリブルでの駆け引きについても教えてもらいました。」
得点力が開花。全国区へ
生まれ育った街はバスケットボールが盛んな福岡県。クラブチームのつてもあり、中学時代には全国でも超がつくほどの強豪校、福岡大学附属大濠高校と福岡第一高校の練習にも参加した。
「全然ダメで、声がかかる感じもなかった」と赤間は表情を変えずに振り返る。地元の高校からいくつか声がかかっていたが、赤間は親元を離れて静岡県の藤枝明誠高校へ進学することを決めた。
「今までと比べものにならないくらいきついことが多かったです。中学の部活は全然強くない地元のチームでプレーしていたんですけど、高校では普段の練習もきついですし、ランメニューとか合宿もあって、生活面でも朝早く起きなきゃいけなかったのできつかったです。」
高校時代を思い出すと、「きつかった」という言葉が真っ先に浮かぶ。けれど、逃げ出したくなるほどの過酷な日々は嘘をつかなかった。中学まで無名だった赤間が静岡の名門で努力を重ねた先に待っていたのは、一度も踏み入れたことのない全国の景色だった。
高校2年時に出場した夏のインターハイで、藤枝明誠の背番号12が躍動した。一度火がつくと止められない得点能力は、全国の強豪を次々と飲み込んでいく。赤間とともにチームの勢いは加速し続け、藤枝明誠はノーシードからベスト4まで進出。全国に赤間賢人という名が知れわたる夏となった。
この年のウインターカップも3位の成績を残し、赤間は計4試合で平均26.5得点を記録。高校3年時はインターハイベスト8、ウインターカップでは2年連続で3位入賞を果たし、名実ともに高校バスケ界を代表するスコアラーへと進化を遂げた。
「中学までは全国に出る機会がなかったですけど、高校に入っていざ全国に出てみると、意外と通用する部分が多かったのでいい経験になったかなと思います。」
人生のターニングポイントともいえる日々でさえもサラッと振り返る。それもまた、赤間らしかった。
退路を断ち、覚悟を固めた
中学時代とは打って変わり、大学進学の際には有力チームからの熱視線が絶えなかった。「関東の大学からは大体声がかかったのか?」と聞くと、「多分そんな感じです」と小さく笑った。
「チームの雰囲気だったり全員で1つになって戦う輪の中に自分も入りたいなって思いましたし、あとはディフェンス面でもっと成長したかったので東海で学びたいと思いました。」

各校のエース級がこぞって門を叩く東海大学でも、赤間は1年目からプレータイムを与えられた。順調な大学生活のスタートを切ったものの、近年の大学バスケ界では4年間を待たずしてBリーグへと羽ばたくという選択肢が生まれはじめていた。2年目のシーズンが終わる2026年1月には、Bリーグ初の試みとなる『B.LEAGUE DRAFT 2026』の開催も決まっていて、エントリーすればプロ入りのチャンスもある。
「大学に入った頃からプロに行きたいとは思っていました。ちょうどドラフトの制度もできましたし、東海の先輩や他の大学でも大学を辞めてプロに挑戦する選手もいたので、自分も挑戦してみたいなって思いました」
時代のうねりは、赤間の内側にある向上心を揺さぶった。
「1人で悩んでいろいろ考えてる時間は多かったですけど、入野さん(入野貴幸監督)や陸さん(陸川章チーフアドバイザー)には、相談ではなく『もう決めています』と伝えました」
両親は、いつも自分が決めたことに対して否定はしない。「全然いいよ」。その言葉が返ってくることはわかっていた。ドラフトで指名される保証はどこにもない。それでも赤間は、大学を辞めてプロに挑戦する覚悟を静かに固めた。




