※本記事は2019-20 IBARAKI ROBOTS OFFICIAL FANBOOK 内で掲載している「[新ヘッドコーチ巻頭インタビュー]アンソニー・ガーベロット」の未公開部分となります。
いよいよ本日9月21日に開幕を迎える茨城ロボッツの2019-20SEASON。
アンソニー・ガーベロット氏(以下、トニー)を新指揮官に迎え、万全の体制でB2制覇・B1昇格を目標とした戦いがはじまります。
本日は、FANBOOKの未公開部分である、トニーのバスケットボール人生に迫った特別編をお届けします。
■生年月日:1969年1月2日(50歳)
■国籍:Italian/British(イタリア系イギリス人)
《主な経歴》
・1993-1998 London Towers Basketball Club/イギリス—U19/U17ヘッドコーチ・Head of Community Development
・1998-2000 KFI Basketball Club/アイスランド —ヘッドコーチ
・2000-2002 Newcastle Eagles/イギリス —ヘッドコーチ
・2002-2003 Birmingham Bullets/イギリス —ヘッドコーチ
・2003–2008 Hackney College Basketball Academy/イギリス —ヘッドコーチ
・2008-2012 Everton/Mersey Tigers /イギリス —ヘッドコーチ
・2006-2012 オリンピックイギリス男子代表 —アシスタントコーチ
・2012-2014 MLP Academics Heidelberg/ドイツ—ヘッドコーチ
・2014-2017 Saigon Heat/ベトナム & ベトナム代表チーム—ヘッドコーチ
・2017-2018 Glasgow Rocks/イギリス—ヘッドコーチ
・2017-2018 ワールドカップ予選イギリス男子代表 —ヘッドコーチ
インタビュー・文=青木崇
バスケットボールとの出会い~コーチ誕生
Q. 初めてバスケットボールとの関わりを持ったのはいつごろですか?
個人的にも素晴らしいストーリーだと思います。5、6歳の時にスポーツをやり始めました。サッカー、クリケット、ランニング。私は素晴らしいランナーでした。我々の間ではセカンダリースクールと呼ばれる時期、10〜11歳の時かな、親友の兄がバスケットボールチームのキャプテンを務めていました。バスケットボールが学校で行われていたことは、11歳になるまで知りませんでした。あの当時、幸運なことに我々にはコーチとしてレベルの高い先生が2人もいたのです。同時に、私の友人が3〜4人一緒にプレーするようになりました。イースト・ロンドンという小さな街から、その中の小さなグループからジュニア代表に入る選手が3人も誕生したのです。数多くの素晴らしいバスケットボール選手がこのエリアから出ており、彼らはその後プロになっています。
学校生活での私は幸運でした。ジュニアチームでは元代表指揮官のデイビッド・ティトマスの指導を受け、後に親しい友人となりました。最初は何も知りませんでしたが、高度なファンダメンタルをしっかり教えられたことによって、私はコーチングの道のりを歩んだのです。そういったことで、私はバスケットボールに関わるようになりました。ナショナルリーグと呼ばれるところ、日本ならばB3のようなところで私はプレーしましたが、その前に両ひざの前十字靭帯を断裂していました。
その当時、私のライバルたちは代表の選手で、質の高いガードでした。辞めようとしたわけではなかったけど、“違った道を進む必要があるのでは?”とだれかに言われたような感じになっていました。リハビリの間、若者のグループをコーチするようになり、トーナメントでいい結果を出しました。そのことによって、私が早い段階でコーチ人生を歩み始めるきっかけになりました。皮肉なことになりますけど、ひざのケガによってコーチを始めたことになりますね。
Q. コーチとしてのキャリアをスタートさせた当時、ロールモデルとなった人物はいましたか?
もちろん。イギリスの中でもいました。当時から我々のゲームのコーチングは進んでいました。私もコーチの何人かを注視していましたけど、アメリカをベースにするならばリック・ピティーノ(ケンタッキー大で全米制覇するなど、NCAAの名将として知られている)がNo.1です。毎年夏にアメリカへ行っていた際、彼のキャンプで働きましたし、ファイブスター・キャンプも見学しました。
あの頃は自分自身で彼のようなモデルを作ろうとしましたけど、コーチとして何をするのかは本当のところわかっていませんでした。ゲームに関してはいい感触を持っていましたし、選手の士気を高めることができると知っていました。しかし、戦略の部分でいくつか知らないことがありました。だから、私は彼に会いに行ったのです。ケンタッキー大にいた時のアップテンポな展開からプレスをするスタイルが大好きでした。だから、私は彼をフォローし、やっているドリルをしっかり見ていました。
Q. ピティーノは好きなコーチということですね?
そうですね。大学での過去にいろいろ(な問題が)ありましたけど、私は常に彼の味方。昨季のパナシナイコス(ギリシャの強豪チーム)を見ればわかると思うけど、彼はバスケットボールのコーチができる人なのです。リクルートの件とは別に、バスケットボールコーチとして評価してもらえたらと思います。
ヒュービー・ブラウン(元NBAコーチで、解説者として長年活躍中)と最初のバスケットボール・ウィズアウト・ボーダーズで会った時、私は若手のイギリス人選手を連れて行きました。NBAプレーすべきだと思いましたけど、ユーロリーグの選手となったアンドリュー・サリバンです。彼はロンドン五輪でイギリス代表のキャプテンになりました。14歳の時に私の選手となったアンドリューを、ヒュービーのところへ連れて行きました。彼はコーチをコーチすることが好きでした。長年偉大なコーチの下で働いてきましたが、私は幸運な道のりを歩んできたと言えます。
私の恩師であるケビン・ケーブルは、イギリスの偉大なコーチでした。私も関わった五輪でのイギリス代表コーチはクリス・フィンチで、現在ニューオーリンズ・ペリカンズのアソシエイト・ヘッドコーチを務めています。もちろん、ニック・ナース(トロント・ラプターズ)は、今世界のだれもが知っているでしょう。私とニックがアシスタントコーチを務め、おもしろいことに写真では隣同士でした。皮肉なことに、私は日本のここで座っているけど、とてもハッピーな気分ですよ。彼がNBAチャンピオンになったのは明らかですけど…。
イギリスBBLでのコーチ時代
Q. イギリスBBLで長年コーチを務め、チャンピオンシップ獲得やコーチ・オブ・ジ・イヤー選出といった実績があります。2000年代半ばのイギリス代表は、ヨーロッパでもレベルが低いところにいました。しかし、そこから大きな発展を遂げ、2009年にユーロバスケットのファイナルラウンドに駒を進めたことは、スロベニア、スペイン、セルビア相手に3連敗となりましたが、最初のステップとなりました。3年後にはルオル・デン(現ミネソタ・ティンバーウルブズ)の代表入りや、ポルトガルとポーランドから勝利したことがプラス材料となり、開催国としてロンドン五輪に出場することができました。イギリスの飛躍に貢献したという思いはありますか?
大きなチャンスがあったわけですけど、複雑な心境が入り混じっていますね。あの当時、我々は目標に到達できたと思いました。ヨーロッパのトップレベルで戦えるチームを構築し、それから五輪に出場して戦うことでした。ただし、不運なことにロバート・アーチボルドらヨーロッパでトップレベルの選手がキャリアの終わりに近づいていました。代表チームと若い世代の選手たちが一緒に練習する考えを持っていましたが、それはできませんでした。五輪後7〜8人は引退するとわかっていましたから、イギリス代表を継続して発展させたかったんですけどね。私たちが成し遂げたことに誇りを持っていますが、日本では同じようなことにならないことを願っています。
Q. イギリス代表ではトロント・ラプターズをNBA優勝に導いたニック・ナースと一緒に働いていました。ワールドカップでもカナダ代表を率いる彼とのエピソードはありますか?
いくつかありますね。ニックはとてもユニークな人です。彼は常にすごいエナジーを持っています。彼に関する最大の思い出としては、すごいエナジーが常に頭の中をよぎります。ヨーロッパのどこにいようが、練習のコートに向かった時、彼は必ずどのだれよりも先にいる。選手たちとワイワイやりながら、すごくいい雰囲気を作り出してくれるのです。10年前のことでした。そんな彼がラプターズで成し遂げたことは、とんでもないことだと思えますね。
チェコに行った時だと思いますが、彼は川のようなところにあった空気で膨らまして作る小さなボートに向かっていきなり飛び込んだのです。彼はこのようなおかしなことをやってしまう人だけど、私にとっては素晴らしい仲間ですね。
バスケットボール発展途上国でのレベルアップ
Q. イギリスだけでなく、アイスランド、ドイツ、ベトナム、そして日本でコーチとして仕事をしています。コーチングスタイルについては、同じやり方を継続しているのですか? それとも、チームによって変化があったのですか
いい質問ですね。ベトナムはユニークなプロジェクトでした。これは真っ白なキャンバスで、何もないところからプロの構造を私が作り上げたということです。まったくプロバスケットボールのコンセプトがありませんでしたし、どのように練習したらいいのかもわかっていませんでした。それを私が構築し、(6チームによる)リーグ創設の手助けをしたのです。
ただし、コーチとして自身を傷つけることになったかもしれませんし、すべてを最低レベルのところまで落としてしまうくらい愚かな面もありました。私は就任1年目でチームをプレーオフに導きましたが、かろうじてレイアップが決められるようなレベルのベトナムの選手に対し、どの相手も彼に対してジャンプシュートをいつでも打っていいという策、オフェンスが5対4の状況を作ってしまったのです。そういった試合で彼は完全にオープンになるわけですけど、シュートが決まるのを祈るしかありませんでした。
しかし、そういったシュートを決められるようになってきたことで、ベトナム人選手のレベルも上がってきています。もし、彼らにもっと投資していれば、惨めな思いはしなかったでしょう。したがって、少しだけ変化するというのは、質問の答えになるでしょう。
ドイツでも同じことでした。ドイツでの試合はまるで戦争のようで、大半のチームが外国籍(アメリカ)の選手を5〜6人保持できました。彼らはとても大きく、非常にフィジカルの強い選手たち。彼らはコートに入るとお互いに押し合いへし合いをやり続けていました。ドイツ人選手たちのスタッツによってチームを推進する力が低かったのは、ディフェンスやローテーションを早くできないのが理由。あそこで得点するのはすごく大変でしたから、間違いなく少し変える必要がありました。
Q. 前の質問に関連しますが、バスケットボールの発展途上国をどのようにレベルアップさせたのですか?
ハードワークは当然ですが、価値あるものの導入が始まりでした。ベトナム協会はプロフェッショナリズムの構築にすごく力を入れて、日々の行動における基準を上げようと心がけていました。これまでの哲学をすべて変えるために練習、試合をやってきました。プロジェクトが正しい方向に進んでいますから、我々のやったことは成功だと思っています。次に進むべきステージがあるとわかりましたから。と同時に、私がベトナムで思っていたことが、昼と夜くらいに違うところまで来たことは誇りです。(アセアンリーグの)プレーオフ進出を逃し続けましたが、相手には代表チームのメンバーが3〜4人いました。私が来るまでベトナムには代表チームがなかったので、チームにはそれにふさわしい選手もいませんでした。フラストレーションを感じる時期もありましたが、ベトナムで成し遂げたことには誇りを持っています。
Q. アセアンリーグのサイゴンではシンガポールを初めて倒し、シーズン終盤にアウェーでインドネシアを破ったことによってプレーオフ進出を決めました。ベトナムでの生活はどのようなものだったのですか?
ベトナムはユニークな状況、国だと言えます。皆さんご存知のように、彼らは長い間戦争に直面していました。人口の多くが若い事もあって、とてもダイナミックな状況にあります。よくたとえとして説明するのですが、どこに行くかわからない状況で若者たちは坂を下ろうとします。でも、それは素晴らしいことであり、街の中もエナジー満載なのですが、進むべき方向性がまったくありません。何かビジネスの機会があればただやるだけ、「オープンカフェか、じゃあやってみよう」という感じです。
狂ったかのようにみんながミニバイクに乗っているのはユニークであり、私も運転していましたし、試合もそれで通いましたね。日々の生活は素晴らしいものでした。そんな中で練習の時間を組み込まなければなりませんでしたが、我々には素晴らしいストレングスコーチがいました。プロチームとして発展することがプロジェクトでしたから、我々は素晴らしい状況にいたのです。
学校のバスケットボールも発展し始めています。以前バスケットボール・ウィズアウト・ボーダーズ(NBA主催のキャンプがこの夏は東京で開催)に参加したベトナムの子は、プロチームでなくSSAという学校から来ました。
おもしろいプロジェクトもやりました。バスケットボールのコーチング、ドリル、練習の映像を制作しましたが、それが全国でテレビ放映されたのです。いろいろな地域活動をやってきましたが、それはバスケットボールの文化を構築することでした。最後に、ベトナムに残した私の遺産の一部とは、6チームによるプロリーグVBAを構築したことでした。これは私が来る以前のベトナムになかったものです。
Q. ベトナムのバスケットボール発展に大きく寄与したことには誇りを持っていますか?
すごくそう思えます。VBA1年目に16歳だった子を5試合プレーさせましたが、19歳となった今の彼は19点、22点、21点を奪う試合がありましたし、チームの得点王になっていることを誇りに思えます。もし、若者へのフォーカスを続けることができれば、VBAは成功するでしょう。
※本編は2019-20 IBARAKI ROBOTS OFFICIAL FANBOOK でお楽しみください!