[選手単独インタビュー] ハワイからやってきた期待の星

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※本記事は、2019年9月21日刊行の『2019-20 IBARAKI ROBOTS OFFICIAL FANBOOK』に掲載したものです。

日本バスケ界の将来を担うことになるであろう、ハワイ育ちのKotoがロボッツにやってきた。
彼はアメリカではなく、どうして日本を選んだのか。
そして、プロとして何を成し遂げたいのか。その核心に迫った。
インタビュー・文=鳴神富一 取材日=2019年8月8日

ーバスケを始めたのはいつから、どういうきっかけだったのでしょうか。

始めたのは11歳くらいのときでした。2つ上の兄が既にチームに入って練習をしていて、最初は一緒についていって見ていただけだったんですが、途中から人数が足りなくて、急遽試合に出たりするようになりました。兄がやっていなかったら、自分はバスケをしていなかったかもしれません。

ーどれくらいからバスケに熱中するようになったのでしょうか。

ハワイにはコミュニティーリーグというのがあって、チームに入って最初は簡単に試合に出られると思っていたんですが、1年くらい全然出られなくて…。それが悔しかったし、ものすごく嫌で。試合に出たいから頑張ろうと決心しました。その時に父親がリングを買ってくれて、庭先で兄と毎日練習しました。

ーバスケを本格的に始めて、プロになろうとか上を目指そうと考えたタイミングは。

13歳の時にオファーがあってバスケが有名な中高一貫校に入学し、そのまま高校にも行って。そのオファーがあったタイミングくらいから考えるようになりました。

ーバスケを続けて一番嬉しかったことは何ですか。

高校で州のチャンピオンになれたことです。そのときはアリーナが揺れる感じですごかったです。

目次

早くプロの世界に飛び込んで上手くなりたかった

ーそんな鎌田選手ですが、NCAAのチームからのオファーもあったと思います。その中で日本という場所でプロとしての生活を始めた理由は。

NCAAのチームからオファーはありました。それでも日本で大人の選手たちとプロとして日々を過ごした方が成長のスピードも違うだろうし、もっと早くレベルアップできると思ったからです。実際、迷うことなくオファーのあったロボッツでのプレーを選択しました。

ー自分自身の強みとこれからもっと強化していかないといけない部分を教えてください。

ダンクもそうですが、アメリカでは普通なので、強みは3Pシュートだと思います。高校時代は司令塔をしながらスコアをとるポイントガードをしていていたので。だけど、日本はアメリカよりも3Pラインの距離が遠いので、慣れないといけないです。もっと体を大きくして、しっかり走れるように脚も鍛えないといけないと感じています。

ー実際日本での生活や茨城の印象はいかがですか。

すごく住みやすくて良いところですし、楽しいです。

ーロボッツの印象はいかがですか。

プレーでいうとすごくスピードが速いですね。みんな仲良くて優しい人ばかりですし、チームワークはとても良いと思っています。チームワークはやっぱり大事なので。この前もごはんに連れて行ってもらって、ハンバーグとステーキをご馳走になりました(笑)。

ーヘッドコーチの印象を教えてください。

高校時代のコーチと似ています。ディフェンスが激しくて、やり方もちょっと似ています。自分は高校時代に州で一番のディフェンスチームと評価してもらったこともあって、トニーさんのやり方は難しい部分はあるけど、何を大切にしてるかなどはよくわかります。

ー将来はどんな選手になっていたいですか。

昨年5月にアンダー世代の日本代表合宿に呼んでもらえました。そのときは、楽しかったけど日本に慣れていないのもあって、あまり良いプレーができませんでした。とにかく今はたくさん試合でプレーをして、自分が上手くなりたいです。そして、ロボッツにいながら日本代表に選ばれて、世界と戦いたいと思っています。

ー最後に今シーズンの目標と、ファンへのメッセージを。

まずは試合に出たいですね。そして、出るだけではなくて、出た瞬間から自分ができることを全てしたいと考えています。頑張るのでファンの皆さん、応援してください。

プロとして早く成長したい、そしてもっと上手くなりたい。バスケが大好きな純粋な気持ちを持つ高校を卒業したばかりのバスケットマン。彼のポテンシャルの高さは計り知れないだけに、早い段階でロボッツの戦力になってくれるに違いない。日本バスケ界にまた1人、途轍もない逸材が現れた。

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