文:荒 大 text by Masaru Ara
撮影:豊崎 彰英、B.LEAGUE photo by Akihide TOYOSAKI、B.LEAGUE
3ポイントシュート。コートの深い位置から放物線を描いてボールが放たれる様子は、会場内にある種独特な緊張感を生み、決まった瞬間、観客は選手に万雷の拍手を送る。バスケットボールにおける、花形プレーのひとつだ。
茨城ロボッツを代表する長距離砲・#2福澤晃平は、11月12日(木)のアースフレンズ東京Z戦(大森スポーツセンター)で、Bリーグ史上初となる、B2個人通算500本目の3ポイントシュート成功を達成。Bリーグの歴史に、彼の名が刻まれる瞬間となった。試合後、記者会見に出席した福澤は、周囲への感謝と今後の抱負を述べた。
「試合が終わった後もコーチやチームメイトから『おめでとう』と声をかけてもらいました。今まで関わってくれた人達のおかげで500本決めることができたので、皆さんに直接ありがとうと伝えることはなかなかできないのですが、今まで関わってくれたチームメイト、ファン・ブースターの皆さんだったり、自分に関わってくれたすべての人達に感謝の気持ちを持って、これからもシューターとして努力を怠らずにがんばっていきたいと思います。」
そんな福澤が、どのようにしてシューターとしての道を歩んできたのか、シューターという強烈な個性を携え、バスケットボール選手として今後どんな境地を目指していくのか、じっくりと話を聞くことができた。そこで福澤が見せたのは、選手としてさらなる成長を目指す、飽くなき情熱だった。
練習で深める自信
そもそもの大前提を考えれば、一朝一夕にシューターになれるものではない。高校、大学を経て、福澤が現在のようにプロの世界で活躍するに至るまで、どのような足跡を辿ったのだろうか。まずはそこから尋ねることにした。福澤曰く、シューターとしてのルーツは高校時代にあると話す。
「中学の時はいろいろな方法で点を取っていたんですけど、高校に行って、全国大会に行ったら、自分は背が小さいし、身体能力もある方ではなかったので、その中で生き残っていく、活躍していくために大事なことを考えたら、3ポイント、長距離砲を武器にするっていう意識が芽生えました。先生からも『シュートが上手い選手』っていう位置づけをされていたので、その期待に応えなきゃいけない、っていう気持ちもあって、3ポイントに関してはかなり高校から練習していたと思います。」
自らの特徴をはっきりと見定めて、シュートという武器を見出した福澤。地元長野県の強豪・東海大三(現・東海大諏訪)で精力的に練習を重ね、インターハイやウインターカップのメンバーとして活躍。関西大学進学後はバスケ部の主将にも任命され、チームをインカレ出場へと導いた。そして、2016年、Bリーグが幕を開けると共に、福澤はB2のファイティングイーグルス名古屋へと加入し、プロとしての道を歩み始めた。そこからの活躍は、我々が知る通りである。
シューターとして、強烈な個性を発揮する福澤。プロ入り後はルーキー時代の2016-17シーズンを除いて3年連続で3ポイント成功率が40%を超えていて、本数だけでなく、その正確性でも名を馳せている。その秘訣を聞くと、福澤は「自信が付くまで練習をするしかない」と、淡々という。
「シーズン全体の成功率は40%ほどになるんですが、Bリーグのシーズン60試合の中でも、シュートが入らない時期っていうのが結構あるんです。それをいかに修正するかをテーマにしていくと、やっぱり僕の中では練習するしかないんです。自信が付くまで練習をして、例えば『10本連続で決まったら帰る』とか。そういう風に練習を積み重ねていくことで、自分のリズムを作っていくんです。」
チーム練習や試合後も、福澤は会場に残ってみっちりとシュート練習に励む。そうして養ったシュート力を、迎えた試合で発揮する。言葉にすると、一見たやすいことではあるが、そのルーティーンを堂々と言えることが重要なのだ。圧倒的な練習量で自信を深め続けることで、「3ポイントシューター・福澤晃平」が作られていく。そして、自信を張りぼてのものとしないために、また練習に励む。「自信」という言葉で、福澤は自らを高め続けているのだ。