取材:文:鳴神 富一 text by Tomikazu Narukami
写真:茨城ロボッツ photo by IBARAKI ROBOTS
2024年1月、バスケ人生を懸けた1人の日本人ガードがロボッツに加入した。#14 久岡幸太郎である。
2018-19シーズンからBリーグでのキャリアをスタートさせ、チームの主軸として活躍し、顔となった。その後、慣れ親しんだチームを離れて新たな役割の中で、苦しい時期も送った。決して順風満帆なバスケ人生で無かったかもしれないが、強いハートを持って懸命にプレーし続け、ファンやブースターの笑顔を作り出す選手であることは間違いない。
「自分のバスケット人生を懸けました」
今シーズンの久岡は、自身のバスケ人生の中で大きな挑戦を決断した。それがB1のコート上に舞台を移して、戦い抜きたい。強い決意のもと、動き出した新たなストーリーは喜怒哀楽を伴いながら進んで行った。練習生から選手契約を掴み取り、再びの練習生としての生活。そして、やってきたロボッツとの運命的な出会い。人生を懸けた決断の裏側には何があったのか、ロボッツに来て自分自身をどう分析しているのかなど、彼の本音に今回は迫る。
自分自身のバスケットボール人生を懸けた、今シーズンの挑戦
「僕としては今年で27歳、選手としてB1の舞台にチャレンジできるのは最後かなと感覚的に思っていました。それこそ、全てを懸けましたね…。これが駄目なら本当にバスケットを辞めようと覚悟して、オフシーズンもずっと悩んで考えて、最終的には飛び込んだっていう感じですね」
自分の大好きなバスケットを辞めるということはプロ選手として自分自身の生活の中心を、自らの決断で幕を下ろす。ある意味、自分の全てが無くなるかもしれない。究極の選択を心の中で決断したわけであるが、久岡自身にはBリーグの舞台で戦ってきた中で芽生えていた自信があったからだというのを、続けて口にした。
「昔と違って今は客観的にも30歳からでも運動能力が向上すると言われているし、年齢を重ねてもそういう意味ではいくらでも可能性はあるかなと。それでも僕の中でB2の舞台で5シーズンくらい戦ってきて、ある程度できるという自信もあった。B1の舞台で戦いたいという目標がある中で、正直なところは所属するチームをB1に昇格させて戦えたらベストだったけど、それはなかなか叶わず……だからこそ、個人的にバスケット人生の最後の挑戦として、B1で戦う決意をしました」
きっとその覚悟が伝わったのだろう、広島ドラゴンフライズが練習生として久岡を受け入れる形となった。「本当に嬉しかったし、ありがたかった」と当時の気持ちを言葉にしつつ、B1の舞台に身を捧げられている今、一定の充実感を得ている様子を語りながら見せていた。
広島での充実感と苦悩、そして共に大学時代を過ごした親友がいる茨城へ
練習生として広島へ。夢に見たB1の舞台に足を踏み入れた久岡であるが、まずは練習生としてアピールをし、ロスターに入ってコートに立つ。これが彼の次なるステップとなった。広島といえば、B1でも充実した戦力を保持しており、その中に割って入っていくのは難しい。その状況下でも「感謝しかない」という言葉を使って、広島での日々を振り返る。
「B1の環境に身を置き、そこでトップクラスの選手たちと練習ができる。一番求めていたものを手に入れることができた中で、ここからは自分次第。戦えるのか戦えないのか、結果を出すか出さないかは、どんな立場でも一緒だと感じていました。その中で広島でのサポートは本当に凄かったです。GMを始め、コーチやスタッフの皆さんが練習生の自分に対しても、他の選手と同様に扱ってくれて…。そのお陰で自分自身、ロスターを勝ち取ることができたと思っています。また、ロスターから外れて再び練習生になった期間でも『次のチャンスが来るまで頑張るしかないな』という風に言ってくれて。もし、今あの場所にいたとしても絶対に成長できたと言い切れます」
一度勝ち取った選手契約から再びの練習生という立場に変更していく中で、ロボッツから正式な選手契約オファーが届いた。広島への感謝はあるものの、チャンスがある限りは挑戦したい。そして、何よりもロボッツには心を許す親友の存在が、久岡の心を大きく動かした。
「広島での時間は感謝の気持ちでいっぱいですが、一方で本当に僕の中では悔しくて辛い時間でもありました。その気持ちを晴らしたいと準備をしていた中で、待ち望んでいたオファーがロボッツから舞い込んできた。やはりB1のコートに立てる可能性がある、チャンスが再びやってきて、飛びついたという感じでしたね」
「そして、バスケットはチームスポーツでもある中でチームメイトというのも少なからず大事だと思っています。自分の心を許していて、大学の同期でもある2人の親友がロボッツにいるのは移籍するのに大きい要因でした。周囲にも相談した中で全員が『チャレンジした方がいい』と言ってくれて、もう本当に悩みに悩み抜いて決断しました」
覚悟があるからこそ、後悔はしたくない
最後は自分の信じる道を進むのみ。1人の人間として、1人のプロ選手として、覚悟を持って決めた信念を貫いた久岡。
「B1の舞台に立ちたいという覚悟を持ってチャレンジして飛び込んだけど、練習生の立場は想像以上に自分自身の中で辛かったし、ユニフォームを着たり着なかったり、試合に出たり出なかったりと苦しい部分もありました。それでも首の皮が一枚繋がったじゃないですけど、前に進んでいる。だからこそ、やり続けなきゃいけない。そして、その道を僕自身が決断したから最後まで全うしたい。そういう思いで日々を過ごしていました」