11年の歩みを次の世代へ ~遥天翼引退記念特集~

取材・文:荒 大 text by Masaru ARA
写真:豊崎彰英 photo by Akihide TOYOSAKI

ロボッツにとってのシーズン最終戦となった、5月8日の群馬クレインサンダーズ戦。試合終了後のセレモニーにて、会場内にどよめきが生まれた。全選手による挨拶のさなか、#0遥天翼が突然の引退発表を行ったのである。つい直前まで共にコートに立って戦っていた選手たちも、驚きからか、目を見合うほどだった。東海大学を卒業後、三菱電機ダイヤモンドドルフィンズ(現・名古屋ダイヤモンドドルフィンズ)、熊本ヴォルターズ、新潟アルビレックスBB、ライジングゼファーフクオカ、東京サンレーヴス(現・しながわシティバスケットボールクラブ)、そして茨城ロボッツと6チームを渡り歩き、キャリアを積み重ねてきた彼が、今度はユース年代の指導者へと転身する。本人や指揮官の言葉とともに、彼の決断の舞台裏を追う。

直前まで、誰にも悟らせず

遥のプレーは、終盤戦に向けて着実にキレと気迫を増していた。ディフェンスでの勝負において、パワーで分があるはずのフォワード陣を相手にしてもしっかり守りきれる。現役最後の試合となった群馬戦でも、#3マイケル・パーカーや#4トレイ・ジョーンズ、また#8八村阿蓮といった面々に対して、しっかりディフェンスから勝負を挑んでいった。GAME1の第2クォーター、まぶたを切ってしまい一時ベンチへと退くが、止血を施して後半からは再びコートに立ち、変わらぬディフェンス強度で、勝利を手繰り寄せた。GAME1を終えた段階で、リチャード・グレスマンHCは遥のプレーについてこう語っている。

「得点に関して言えば、平尾選手、タプスコット選手、ジェイコブセン選手がバランス良く得点を積み重ねていきました。また、遥選手に対しては、ここ数試合のプレーを見ていて『陰のヒーロー』だと思っています。今日も15分間のプレータイムではあったのですが、彼が見せてくれる闘争心というのは素晴らしく、群馬のジョーンズ選手に対してもしっかり戦ってくれました。」

それほどまでの評価を受けた彼が、現役を退くという決断を下すとは。それほどまでに、衝撃が大きかった。ついにその瞬間まで周囲に引退という印象を与えなかった。それは、グレスマンに対しても同じだったようで、指揮官はGAME2終了後の記者会見でこんな裏話を明かしている。

「群馬戦の直前、金曜日の練習を終えてから、『どれくらいの時間プレーできるか』と尋ねたんです。その時彼は笑顔を浮かべただけで、何も言いませんでした。今となってはその意味も分かります。彼は本当にチームにプラスの影響を与えてくれて、彼がチームに対してもたらしたものに、大きな感謝と誇りを感じています。個人としても、彼をコーチングできたことに感謝していますし、シーズン終盤に彼のプレータイムが増えていったわけですが、いかに彼の人間性が素晴らしかったかを表していると思います。」

指揮官に対してでさえ、「まさか」という印象を与えた引退劇。それは、遥自身が自らに課した想いを貫き通そうとしたからだった。

「例えば2月の段階で伝えていたら、良い意味でも悪い意味でも『天翼、最後だから』となる。例えば、自主練習を頑張っていたとしても『天翼、これが最後だから頑張ってるんだね』ってなるだろうし、シーズンの終わりが近づいてくるにつれて『最後だから試合に出そうか』となることもある。でも、気を使われるのが嫌だったし、最後までチームとして戦ってきた『ロボッツの中の自分』でいたかったから、ファンの方々にも言いませんでした。」

記者会見ではこのように述べた遥。引退を決めたのは今年の2月だったそうだが、その裏には何があったのか。シーズンを終えた段階で、彼自身が答えてくれた。

「2月に、大介さん(西村大介社長)に時間を作っていただいて、まずその時に、シーズンが終わったときに契約を切られてしまったら、僕は次の居場所を探さなくてはいけない。今、僕のことをどう評価してくださっているのか、そこを聞きたくて時間を設けていただきました。その後、僕は『セカンドキャリアとして、子どもたちにバスケットを教えたい』と伝えたんです。それを今後実現するためのアドバイスを求めたら、大介さんは『テンテンがそれを考えているとは知らなかった』と仰った。『ロボッツのアンダーカテゴリーでコーチを招く予定だから、どうする?』と言われました。その時にはすぐには答えを出さなかったし、出せなかった。まだ選手として戦いたかったんですけど、せっかくのチャンスを逃したら、いつセカンドキャリアとして僕がやりたいことができるか分からない。1ヶ月悩んで、アンダーカテゴリーのコーチになると決めて、引退することを決めました。」

そうした背景を、自らがしっかりと伝えることができるその瞬間まで、「プロバスケットボール選手・茨城ロボッツの遥天翼」であろうとして、一旦は抑え込んだ。そして、引退のその瞬間が訪れるまで、自らの気持ちの整理を続けていった。プロフェッショナルであることとチームプレイヤーであることを共に重んじようとする、遥の姿勢が最後の瞬間まで崩れることなく表れたとも言えるだろう。

大きな衝撃とともに

一部のファンやブースターは、彼が試合の直前に更新を行ったSNS「note」において、引退の報せを受けることとなる。ただ、本人はそれを決してコート上に持ち込まず、3640人の観衆の中、試合が終わるその時まで、彼は闘争心を燃やし続けた。ただ、当人にとっては「GAME1まではチームや自分のために戦い続けて、最終戦だけは楽しもう」と心に決めていたのだという。前日に相手選手との交錯によって瞼から出血。止血パッドを貼り付けながらもコートに立ち続ける様は、この2シーズンでロボッツのファンに植え付けられた、「闘将」というイメージそのものであった。

試合終了の瞬間、彼はベンチにいた。第3クォーターの終盤に交代して以降は、コートに立つことは無かった。そこには、チームプレイヤーであろうとする彼の矜持が、最後まで残っていた。

「結局負けたくなかったし、群馬のジョーンズ選手がディフェンスで止められる状態では無くて、マッチアップするべきなのは僕ではないと感じていました。その時コートに入ったのはユージ(#14髙橋祐二)だったんですけども、ユージのディフェンスも半端ではないので、ジョーンズ選手のスピードに付いていくならば彼だと思っていました。何なら試合中に将吾さん(福田将吾アシスタントコーチ)に、『僕じゃなくてユージにしてください』って言いました。」

試合が終わり、選手・スタッフが整列し、シーズン終了を告げるセレモニーが行われる。背番号が大きい順に選手たちが挨拶を残す中、遥の出番が回ってくる。「今シーズンも、応援ありがとうございました。」と挨拶を始めた彼は、次の瞬間、徐々に声を震わせながら、全てを明かした。

「既に知っている人もいるかもしれませんが、バスケットを始めて24年、今日でプロになって11年が終わりました。チームメイトには言っていないんですけども、僕、今日で引退します。」

驚き、どよめき。あるいはかすかに悲鳴にも似た声が、アリーナを包み込む。突然の出来事だったのは、彼の後ろに並んでいた他の選手たちにとっても同じことだった。言葉を聞いた瞬間、一斉に顔を見合わせる。感情が高ぶっているのか、遥の声は、その後も少しだけ上ずっていた。

「悔いは無いです。ただ、ちょっと、まだ寂しさがあって、このメンバーと最後まで戦えたことが、僕はすごく誇りで。昇格を決めた瞬間も、8人で戦って秋田に勝った瞬間も、これから先引退しても僕は忘れません。茨城ロボッツで最後、プレーできて僕は幸せでした。最後までチームメイトに言わなかったのは、僕が最後まで『遥天翼』として接してもらえるように、ファンの人にも、僕が最後まで『遥天翼』としてプレーできるように応援してもらいたくて、今日の今まで黙ってきました。そんな僕を許してください。今日はありがとうございました。」

セレモニーが終わると、いつもならば勝利時のテーマソングとなっている「Celebrate」が場内に流れ、遥が選手・スタッフから次々にもみくちゃにされていく。コートの中央で胴上げをされ、記念撮影へとなだれ込む。2カット目の撮影になると、彼以外の全員が後ろを向き、遥が一人、ピースサインを送っていた。この短い時間に、彼がこの2シーズンでいかにロボッツの中で認められ、愛されてきたかが丸ごと込められているかのようだった。

彼の「この後」が気になった筆者は、記者会見に登壇した遥に対して質問をぶつける。それに対して、遥は「まだ、言うわけにはいかないんです。」と、言及を避けた。少しだけ引っかかりを覚えるのだが、通すべき仁義があるからこそなのだろう、と、瞬時に理解することができた。しかし、1週間後の光景は、この時はまだ知る由もなかった。

そして起きた、2度目のどよめき

5月14日に行われたファン感謝デー。引退を祝うセレモニーが改めて行われることとなった。彼と縁の深い選手や関係者から送られたビデオメッセージには、三菱電機と新潟で2度にわたってチームメイトとなった五十嵐圭(現・群馬クレインサンダーズ所属)、ロボッツ在籍時の2020-21シーズン、「福岡3人組」としてB1昇格に向けて力を合わせた眞庭城聖(現・山形ワイヴァンズ所属)、小林大祐(現・アルティーリ千葉所属)といった現役選手のほか、東海大学時代の恩師である陸川章氏などが登場し、会場を暖かな雰囲気に包んでいく。

家族に花束やタペストリーを渡された瞬間には、思わず涙をこらえきれない様子を見せた遥。記念撮影を終えて、改めて挨拶をとマイクを渡された彼は、こんな言葉を残した。

「チームが今日、僕を泣かせに来ているなと思って、耐えてきたんですけど、家族の支えがあった中でここまでやってこられたからこそ、泣いちゃいましたね。改めて、今季を以て引退させて頂きます。今後、僕が何をしたいかということを報告したいと思います。今後は、茨城ロボッツに残って、ユースのヘッドコーチになりたいと思っています。この『闘う集団』である茨城ロボッツのトップチームに、ついていけるように、子どもたちにしっかりバスケットと、一番大事だと思っている人間性を鍛えて、成長させて、すばらしいチームにしていきたいと思っていますので、ぜひ応援と、機会があればお子さんを僕のもとに預けていただけたらと思います。これからもよろしくお願いします。」

遥天翼が、まだロボッツの一員としていてくれる。それが分かった瞬間、会場がワッと沸き立つ。これで、さよならではない。一転、安堵が会場を包み込んでいくのが感じ取れた。バスケットを始めてからプロ選手としての引退に至るまで、決してスター街道ばかりを歩んできたわけではない。常に、自らが輝くと同時に、チームがより高みを見て戦うことを描こうとし続けてきた。そんな彼の「考える」「戦う」バスケットを子どもたちに受け継いでいくことは、ロボッツのアンダーカテゴリーの成熟に対しても、大きな意味合いを持ってくるだろう。

経験を伝える、という新たなミッションを授けられた遥。彼の新たな日々が、彼に関わる人たちにとって実り多きものであることを願ってやまない。

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