特別対談・岩下桂太×一色翔太「今、『ロボッツ』を話そう」①

取材・文:荒 大 text by Masaru ARA
撮影:茨城ロボッツ photo by IBARAKI ROBOTS

選手やコーチ、スタッフ、フロントスタッフを含めて、プロバスケットの世界は人の入れ替わりがとにかく激しい。その中にあって、ロボッツのアシスタントコーチを務めた岩下桂太は、前身クラブ時代から2021-22シーズンまでの間、常にロボッツの一員であり続けた。そんな彼が、今季を最後にチームを離れ、Wリーグ(バスケットボール女子日本リーグ)の東京羽田ヴィッキーズのアシスタントコーチに就任することとなった。ロボッツにおいて「生き字引」とも言うべき存在の岩下に、今こそロボッツの9シーズンにわたる歩みを振り返ってもらう時が来た。チームOBである一色翔太氏を招いて行われた、2人による特別対談の模様を連載の形でお届けする。

2人の初対面は「ロボッツ前」

まずは本題に入る前のウォームアップとして、2人が出会った頃のことを話してもらった。2014-15シーズン、当時のロボッツが参戦していたNBLで共に戦っていた、千葉ジェッツからのレンタル移籍という形で、一色はロボッツの一員となっている。そこが最初の出会いかと言われたら、実はそうでは無かったらしい。

岩下「もともと、『デイトリック』というチームで一緒に練習をしたことがあったんです。カピオ(つくばカピオアリーナ)を拠点にしていたチームだったんですよ。」
岩下「デイトリックがJBLに入る前の段階の話です。当時のJBL2に参戦する前の段階でした。」
一色「当時僕はジェッツの選手としてbjリーグに参加する直前だったはずです。」

当時のJBL2に参入した「デイトリック茨城」の選手としてもプレーしていた岩下。指導者への転身はその頃に遡る。

岩下「まず、筑波大の在学中に『デイトリックでコーチのアルバイトを探している』という話が来たんです。もともと教員を目指していた中で子どもたちの指導をしたいという夢があって筑波大を選んだので、『ぜひに』と誘いを受けたんです。デイトリックがJBL2に参加する前段階で、一緒に練習をしつつコーチングを、ということで選手としても登録されました。いよいよ参加、となったときに『アシスタントコーチを探している』と言われ、僕としてもコーチを目指していたので『分かりました』と。そこからはきっぱりコーチ一本で活動するようになりました。」

チームとしては黎明期も黎明期の時代の話。地元にプロチームができようとしていることは、一色の耳にも入っていたという。

一色「デイトリックもそうですし、その前にあった『HA!TORIDE』というチームのことも知っていました。」
岩下「懐かしい(笑)。ルーツと言えば、そのチームがルーツですね。で、デイトリックになって、ロボッツになって。」
一色「『HA!TORIDE』がスタートだから、取手、つくば、そして水戸とどんどん北上しているよね。」

デイトリックというチームを引き継ぐ形で誕生した「つくばロボッツ」が2013年に始まった新リーグの「NBL」に参加することとなり、岩下の指導者としてのステップアップもそこから始まった。また、この時NBLの参加チームの一つとして名を連ねたのが、一色が所属していた千葉ジェッツだった。唯一、bjリーグからの転籍を果たしたチームであるジェッツ。当時の2人の関係は「対戦相手」だった。初対戦の思い出を二人はこう振り返る。

一色「ポールダンス(笑)」
岩下「試合の話じゃないんだ(笑)。でも確かにポールダンスやってたよね。華やかな衣装を着た女性が、コート上に4つか5つ立てたポールを次々に運んできて、そこでポールダンスをするんです。」
一色「試合の内容は覚えていないんだけど…。会場も取手グリーンスポーツセンターだったのは覚えています。」

ここから話題は、試合以外の演出の部分に展開する。

岩下「NBLの初年度(2013-14シーズン)は、会場でプロジェクションマッピングをやったんです。ホーム開幕節に2日連続で流しました。その試合は兵庫ストークス(現・西宮ストークス)が相手だったんですけど、2連勝することができました。でも、来場者数は2日とも300人に満たないくらいだったんですよね。」

当時はまだチームの経営も試行錯誤していた頃。チームの編成・強化にも携わっていた岩下は、その頃の思い出にも触れ、つくばロボッツが経営危機を迎える2014-15シーズンの選手の陣容も豪華だったと振り返る。当時は、岡田優介(現・アルティーリ千葉所属)や鹿野洵生(現・ファイティングイーグルス名古屋所属)の加入など積極的な補強を行っていた。こうした動きを千葉の選手として見ていた一色は率直に「お金があるな」と見ていたという。

岩下「実際に、編成の中でも『ある程度予算を使って良いよ』と言われていましたね。」

存続の危機へ

しかし、このようなクラブ運営は結果としてうまくいかず、クラブが存続の危機を迎えてしまった。紆余曲折を経て、当時のNBL専務理事だった山谷拓志(現・静岡ブルーレヴズ≪JAPAN RUGBY LEAGUE ONE≫社長)が理事を退任して経営を引き受けることで「つくばロボッツ」は存続することになったが、新生ロボッツからは多くのスタッフや選手が離れることになりコーチとして残ったのは、岩下ただ一人だった。

岩下「リーグの偉い人たちが練習会場にやってきて、体育館の会議室に集まっている。大変でした。」

必死で選手をかき集め、大学生も含めてリーグ戦のエントリー人数を揃えた。そのタイミングで迎えたのが、当時一色が所属していた千葉との一戦だった。

一色「当時のロボッツには、ただの大学生もいたはずです。対戦相手の僕らは正直試合ができるのかどうか懐疑的でしたが・・・。日立市の『久慈サンピア日立』が会場で、山谷さんが泣きながら試合前にスピーチしていたのを思い出します。どっちかの試合は良い展開でしたよね?」
岩下「2戦目だね。終わってみれば13点差。」
一色「僕も久々に試合に出た記憶がありますね。時間はちょっとでしたけど。」

このような困難の中、ロボッツの在り方を巡っては様々な議論が交わされていた。

一色「チームを無くした方が良い、という考えもありました。」
岩下「チームの存続にネガティブな意見もありましたね。」
一色「(今のロボッツがあるのは)山谷さんのおかげだね。」
岩下「その通り。『岩下、ヘッドやるか』って聞かれて『やります』って答えた。チームを残すことを考えて、お金の面もあったんでしょうけど。」
一色「あのシーズンを乗り切ったのはすごかったよね。」
岩下「あそこを乗りきっていなかったら、イメージも悪くなって、茨城にプロバスケットボールチームが存在できなかったと思います。そういう世界もあるかもしれなかった。」

岩下は経済的に困難な中でも戦い続けた。その頃を救った言葉があったと、彼は話す。

岩下「僕もコーチを辞めようと思ったんです。ただ、その時に佐藤託矢(2021年引退)という選手がいて、彼が『桂太、お前はやめたらいかん。できるところまでやった方が良い』と言ってくれた。本人は絶対覚えていない、100%覚えていないだろうけど(笑)。ただ、その時『一緒に辞めちゃおう』なんて言われていたら、辞めていたかもしれない。」
一色「ただ、その決断をしても全然おかしくはない。選手を含めて、みんなが選んだ答えは、何も間違ってはいない。」
岩下「違う働き口を探さないと、食っていけないという現実にみんなが向き合っていましたね。」

そうした環境の中で、それぞれがそれぞれの選択をした。「ロボッツに残る」という岩下の選択もその1つだったと言える。しかし、そういう岩下の存在が無ければ、ロボッツは今のようにはならなかったかもしれない。

二つ返事でのロボッツ移籍

経営面でのロボッツの苦境は、当時千葉でプレーしていた一色の知るところにもなっていた一方で、当時の一色もプレーヤーとして選択の渕に立っていた。過酷な競争の中で、プレータイムを確保しにくい状況が続いていたのである。そんな中、一色は当時千葉の球団社長としてチームを率いていた、島田慎二(現・Bリーグチェアマン)の自宅に招かれ、ロボッツへの移籍を打診される。

一色「食事をしながら、島田さんから『ロボッツからレンタルでオファーがあるが、どうだ?』と聞かれたんです。『行きます』と、二つ返事でした。ちょうど、年明けでNBLのオールスターがある直前だったかと思います。」

2015年1月、レンタル移籍という形でロボッツへの加入が発表された一色は大活躍を見せ、得意の3ポイントシュートを武器に得点を重ね続けていった。なお、岩下は一色の加入が心から嬉しかったという。そのきっかけは、加入前の対戦にあった。

岩下「2014年3月にNBLでロボッツと千葉の試合があったんです。ただ、翔太さんはその試合まであまり出番が無くて、プレータイムも少なかったことから、正直、翔太さんのことをスカウティングしていなかったんです(笑)。そこから試合に出たらバシバシ3ポイントを決めていく。当時ロボッツを率いていたヒルHCが『誰だ!?あの1番は誰なんだ!?あいつにやられたぞ!』って。覚えてます?」
一色「(千葉のホームゲームが行われた)印西かどこかじゃなかったかな。」
岩下「千葉のホームでしたけど、普段のホームアリーナじゃなかったですね。ヒルコーチは熱くなって『シューターなのか?』って聞いてくる。良い感じの試合をしていたのに、そこから負けたのを覚えています。」

そんな記憶も相まってなのか、一色の加入に対しては喜びの感情を隠さない。

岩下「当時は『レンタルで来てくれるなんて!』ってうれしかったんです。『助かった!』って感じでした。本当に当時はしんどくて、コーチは僕1人。通訳もいないから、日本語と英語を同時に話していた。ちゃんと経験のある選手も少なく、大学に通いながらチームに所属している人もいました。そんな状況で来てくれたので『男気あるな』って思ったんです。翔太さんは、迷わなかったんですか?」
一色「このままジェッツにいても、シーズンが終わっちゃうって思っていましたし、あとは地元クラブでしたしね。」
岩下「当時は彼にボールを渡して、あとはボールマンスクリーンをかければ、ポンと3ポイントシュートを決めてきてくれる。プレータイムも長くて、しんどかったんじゃないですか?」
一色「それまでがベンチで座ってるだけだったからね…。やっぱり試合に出てなんぼだと思っていましたし、試合に出たくてプロになったわけですから。」

「つくばロボッツ」での2シーズン、コーチと選手という関係で挑んだ2人は、いよいよ新リーグ「Bリーグ」での戦いに身を投じることになる。つくば市からのホームタウン移転に伴ってチーム名も「茨城ロボッツ」となったこのタイミングで、岩下はヘッドコーチへと就任。一色はBリーグ初年度のキャプテンを務めることになる。2人は「指揮官とキャプテン」という関係になって、新たな戦いへと突入していくことになる。

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