#12 松本礼太~ミッションを携え、激戦区へ~

取材:文:荒 大 text by Masaru ARA
写真:B.LEAGUE、茨城ロボッツ photo by B.LEAGUE, IBARAKI ROBOTS

ロボッツに新加入となった#12松本礼太は、シュート力、そしてディフェンスを武器に、高校、大学、そしてプロと、常に強豪チームに身を置き続けてきた。プロでの2シーズン目を迎えるに当たっての新天地にロボッツを選び、現在はチーム内での新たな競争に身を置いている。彼のバスケ歴、さらには今季に懸ける想い。ひたむきな男の、新たな一面を紐解く。

競争に次ぐ競争の中で

宮城県出身というプロフィールになっている松本だが、幼少期に家族で福岡県へと引っ越したのを機に、高校までを福岡で過ごしている。福岡第一高校を経て東海大学に進学と、学生バスケにおける、「王道ルート」の一つを歩んできた。「東海大のファミリー感に惹かれたのが進学の動機」と話した一方で、入学後には選手同士で強烈な目標を立てたのだという。

「当時のチームは、コロナ禍の中でも『大学でのタイトルを全て獲る、それも圧倒的な差を付けて勝ちに行く』というのを目標にしていました。さらに、『天皇杯でBリーグクラブを倒す』という目標も掲げていて、日々の練習の質にこだわって、1日たりとも無駄にしないという意識を共有していきました」

残念ながら、コロナ禍の影響が色濃く残った第96回(2020~2021年開催)、第97回(2021~2022年開催)の天皇杯に東海大が出場することは叶わなかったが、2020年には関東大学バスケットボール連盟の「オータムカップ」(リーグ戦の代替措置で行われたトーナメント)を制すると、その後の第72回全日本大学バスケットボール選手権大会(通称:インカレ)も制覇して、東海大は大学バスケの日本一に輝いた。オータムカップの決勝では留学生たちによるインサイド陣が際立つ大東文化大学に32点(〇79-47)、インカレの決勝では、今季のチームメイトとなった山口颯斗がエースとして君臨していた筑波大学に18点(〇75-57)もの差を付けて勝利。「圧倒的な差を付けて」という意味でも、チーム全体で有言実行を果たしたとも言えるだろう。

東海大からは数多くの選手たちがプロへの切符を手にしている。松本と同期の選手を挙げるだけでも、大倉颯太(現:千葉ジェッツ)、佐土原遼(現:ファイティングイーグルス名古屋)、坂本聖芽(名古屋ダイヤモンドドルフィンズ)、八村阿蓮(現:群馬クレインサンダーズ)がプロ入りしている。そういったチームであるがゆえに、プロ選手たちと接する機会は多かったという。先にプロの世界を知った選手と話したり、あるいは自らが経験を重ねたりする中で、松本は次第にプロへの意識を持ち始める。ただ、同時に武器が足りないことも自覚するようになっていった。

「大学に入った当初は、『就職後も社会人としてバスケを続けられたら』と考えていました。ただ、Bリーグのチームと練習試合をして、レベルの高さに触れていくにつれて、『この人たちのようになりたい、自分もプロでやりたい』と感じるようになりました。ただ、当時はシュート力と、ディフェンスの能力が足りていないとも感じていました。特に東海大はディフェンスのチームだったので、ボールマンにずっと張り付くようなプレッシャーを与えられるような力は無いとも思っていました」

大学入学当初は、教員免許取得を目指しての単位取得も始めていたという松本だが、通常のカリキュラムに加えて授業を受けて単位取得をすることになる。その過程では、部活動の練習と授業のバッティングも発生してしまう。松本はバスケットに打ち込むことを決め、教員への道を断った。強烈な個性を持った選手たちがぶつかり合うチームで、自主練習も含めて、松本は自らを高めようと努力を続けていく。そしてプロを見据えた進路選択が近づく中で、もう一つ、彼を変える出会いが待ち受けていた。

「他のクラブからのオファーもあった中で、桶谷大ヘッドコーチから琉球への誘いが来ました。琉球はとてつもないチームだという実感があったし、僕自身も大学での飛び抜けた実績があったわけでもありません。なので、半ば断るように『なぜ僕なんですか?』と聞きました。すると、桶谷さんは『チームの中に一人一人の役割はあるし、琉球の一員としての松本の役割も絶対にある。さらに、ケガ人の多い中ではチャンスになる』と話してくれたことで、琉球に行こうと決めました」

厳しいのを承知で挑んだルーキーイヤー

琉球に加入した松本がまず感じたというのが、彼らのホームアリーナである沖縄アリーナの環境の充実ぶりだったという。

「練習をするときも、選手専用の入口から入ることができて、練習をするサブコートとトレーニングルームが、ガラスで仕切られていました。さらに、一人一人の選手たちに割り当てられたロッカーもあり、環境のすごさを感じました」

その一方、当時の琉球は、松本の競争相手となる選手で言えば田代直希や牧隼利、それ以外のポジションでも日本代表経験者の渡邉飛勇などが長期欠場に追い込まれ、戦力の厚みを保つには厳しい戦いを強いられていた。桶谷HCの言葉通り、松本は特別指定選手ながら、次第に出番を得ていくようになり、このシーズンに行われたBリーグチャンピオンシップ、Bリーグファイナルにも出場した。2022-23シーズンのプロ契約も勝ち取ったわけだが、ケガ人たちが戦線に戻り、プロとしての1年目が厳しい戦いになることを、クラブからは予め打ち明けられていた。

「『出られることは少なくなる』と、クラブからは伝えられていました。僕も試合には出たい一方で、琉球のメンバーの中で練習ができることもとてつもない経験だと考えて、琉球に居続けることにしました。チャンピオンシップ、Bリーグファイナルに天皇杯、さらにはEASL(東アジアスーパーリーグ)も経験できました。特にEASLで対戦した海外のチームの選手たちを見て、背が小さくてもフィニッシュまで持ち込める力や工夫、プレーのキレや精度を目の当たりにしました。そういった部分では、他のルーキーの選手と比べたら、なかなかできない経験ばかりで、濃い1年を過ごせたと思います」

同時に、この時期の松本は腐らずに練習に明け暮れたという。1人で、ということではなく、その傍らにはチームのスタッフが常にいてくれたのだそうだ。

「琉球にはスキルコーチの山下(恵次)さんという方がいて、練習の時も、試合に出られないような時期も、ずっと僕にアドバイスをしてくれたり、ワークアウトもしてくれました。僕の成長は、もちろん琉球の先輩たちの影響もありますが、山下コーチとのワークアウトから得るものも大きかったです。また、試合に出られるのか、出られないのかという部分は、僕にコントロールできるものではありませんでした。まずは『腐らない』ことを意識しつつ、『コントロールできないことには惑わされない』と決めて、この2つを自分に言い聞かせていました」

さらに、昨シーズンの松本はベンチのそばから戦況を見つめる中で、Bリーグの当代最強クラブの哲学を感じ取っていた。どの年代のクラブであっても、強いクラブには共通した意識があると、松本は話す。

「『コミュニケーション』と『我慢』というのは常にあったと思います。逆にチームが負けてしまった時にそれが現れると思っていて、集中できていないようなミスが出たり、プレーの選択からおかしくなってしまったり、もちろんコミュニケーションが取れていないのが敗因になっていきます。琉球は、誰がシュートを決められてもおかしくないからこそ、誰にでも任せられる。お互いの信頼関係もあったように感じます」

ともすれば「個が光る」とも称されてしまいそうなチームだが、その内部にはしっかりとチームとしての骨格が宿って息づいている。リチャード・グレスマン前ヘッドコーチが掲げた「アンセルフィッシュ」を継承しての強化を目指すロボッツにおいて、彼の経験がもたらすものは一際大きいと言えるだろう。

「1つ上」を目指して

7月5日。今季のロボッツの初練習が行われた。そのコート上で、松本ははつらつと動き回る。体力的に追い込まれたような表情を見せようものなら、同じグループだった#25平尾充庸から「礼太、行け!」と檄が飛ぶ。松本は「ああいった声掛けは嬉しい」とその当時を振り返ったが、チームへの溶け込みと同時に、彼自身のアピールをしっかりこなさなくてはならない。

松本のポジションであるシューティングガード(SG)、さらにはスモールフォワード(SF)のポジションは、今季のロボッツでは「最激戦区」と呼ぶにふさわしいだろう。#17山口颯斗や#29鶴巻啓太など、すでに昨季までに立場を確立してきた同じポジションの選手たちはもちろん、時には#1トーマス・ケネディや#13中村功平といったオフェンス面での武器を持ったプレイヤー、さらには#2モサクダミロラや#7浅井修伍、さらには#22中村ジャズといった若い、もしくは新加入となった選手たちとの競争も待ち受ける。その中で、松本ロボッツへ加入するに当たって、マーク貝島ゼネラルマネージャーからのメッセージがあったと話す。それは、彼に課せられた単純明快なミッションでもあった。

「マークさんから率直に『3&D(3ポイントシュートとディフェンスに特化した選手)になってほしい』と伝えられました。自分の役割がはっきりした方がやりやすいと感じますし、役割を全うすれば出番を得るチャンスにもつながります。ロボッツは昨シーズンの対戦でも3ポイントシュートを多投してくる、というイメージがあったので、自分の強みも出せるというのが移籍の後押しになりました」

今季の松本が選んだ背番号は「12」と発表されている。琉球時代に着用していた「11」は、ロボッツにおいてはチェハーレス・タプスコットの背番号としてすでに定着している。よって、松本が背番号を変更したわけだが、実は、それ以外に希望の番号はいくつもあったという。

「最初は1桁の番号にしたくて、『7』を希望しようとしていたら、浅井(修伍)が既に着けていました。それ以外にも番号は思いつくものの、どれもこれも既に着けている人がいて…」

という中で、空いている番号では「2」も考えたという松本。ただ、その番号は、昨季限りでチームを去った福澤晃平が5年間背負ったものだった。また、福岡第一高校から東海大への進学、のちにロボッツへの加入というキャリアを考えれば、遥天翼(2022年引退)が背負った「0」をイメージする人もいるはずだ。しかし、そうしたイメージと重ねられてしまうことが、少しシャイなところもある松本にとってはハードルに感じてしまうようだった。

「『0』については似合わないとも感じたのですが、同時に、前に着けていた人が思い浮かんでしまうような番号にすることに抵抗がありました。ならば、ロボッツでここのところいなかった『12』にして、これまで着けてきた11から数字を1つ足すことで、『去年の自分よりも1つ成長する』という意味合いも込めました」

ロボッツでは2020年以来、3シーズンにわたって空き番号となっていた「12」。「1つ上」を目指す松本が確固たる居場所を作りきれれば、チームの戦線も押し上がり、「12」のイメージは自然と彼のものとして作り上げられていくはずだ。

今はまだ、カメラを向けられると、恥ずかしがって思わず避けてしまう…そんな一面も見せている松本。「僕よりも他の人を撮ってほしくなるから」と、少々の遠慮と恥ずかしさが入り混じる。ただ、そんな彼から目が離せなくなるほど注目される瞬間が来るのは、決して遠い未来の話ではないだろう。

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