#7 浅井修伍 一歩また一歩 助走をつけて

写真:茨城ロボッツ photo by IBARAKIROBOTS

中学時代はジュニアオールスター福岡代表、高校は名門・福岡大学附属大濠高校、大学はインカレ3連覇の経験を持つ筑波大学。まさしくバスケエリートの道を歩んできた#7 浅井修伍。昨年12月に茨城ロボッツに加入した時、誰もが華々しい経歴に胸を躍らせただろう。しかし、今回のインタビューでは、中学の"驚き"、高校での"悔しさ"、 大学での"挫折"を口にした。カテゴリーが上がるたびに一歩づつ、準備を重ねた彼のバスケ人生を振り返る。

トップレベルのバスケを成長の糧に

小学校5年生にして160cmを超える長身。友だちからミニバスに誘われたのは必然だっただろう。中学の時にジュニアオールスター福岡代表に選出された頃にはその身長も190cmまで伸びていた。

「身長が大きかったので選ばれましたが、所属中学のバスケ部は決して強くはありませんでした。最高成績は北九州市大会で1回戦敗退。そんな中、福岡代表に選ばれ、レベルの違いに唖然としました」

当時の福岡代表には、関屋心選手(現・富山グラウジーズ)、中田嵩基選手(現・ライジングゼファー福岡)も選出。レベルの高い福岡の中でも屈指タレントを揃えていた。県大会に出場経験のない浅井にとって、本当の意味で"トップレベル"のバスケットを知る第一歩となる。

そして、ジュニアオールスター本戦でも、決勝トーナメント2回戦で岡山県代表と対戦。後に、高校のチームメイトとなる土家大輝選手(現・福島ファイヤーボンズ)と相見える。

「もちろん福岡のチームメイトはすごかったですが、それよりも土家選手のインパクトがすごかったです。どんな体勢でも、どんな位置でもシュートを決めきり全国にはこんな選手がいるのかと驚いた記憶があります」

優勝候補の福岡県代表は、岡山県代表に58-62で敗れ、浅井が驚愕したプレーを見せた土家選手は大会最優秀選手に選ばれ、大会は岡山県の初優勝で幕を閉じる。

目の前にそびえる高い壁を何度も目にした浅井だが、挫折すること無く高校もなおトップレベルへ進むことになる。

最後に迎えたバスケ人生一番の悔しさ

福岡県でバスケをプレーしていれば誰もが憧れる「福岡大学附属大濠高校」。しかし、浅井は当初、「北九州市の強い高校ならどこでもいい」と福大大濠になびくことはなかった。

しかし、ジュニアオールスター選出後、高校の練習に参加した浅井は、

「自分と同じような身長の人が沢山いる中でプレーするのが初めてで、そこでまず衝撃を受けました。なにより大濠というチームがカッコよく、初めてこのチームでやりたいと強く思いました」

そんな折に片峯聡太監督から声をかけられ、浅井の高校バスケが始まった。

親元を離れ、寮生活を始める。そんな2人1部屋の小さな部屋からも浅井に驚きが待っていた。

「自分が朝起きると、相部屋をしていた同級生がすでにいないんです。もともとレベルが高いのに朝早く起きてシューティングに行く努力家でした。今も尊敬しています」

レベルの高い環境に身をおき、全国からトップレベルの選手が集まる福大大濠で出場機会を得るのは難しい。それは浅井も例外ではなかった。高校一年時、二年時の前半ではベンチを暖めることが多く、チームメイトの活躍をコート外から見ることも多かった。

そんな中、高校二年時のウインターカップでチャンスが訪れる。

「準々決勝の厚木東戦でプレータイムをもらい活躍をすることができました。そして、準決勝でも4Qの勝負所で逆転3Pシュートを決めきることができました」

片峯監督から指導を受け、高校から打ち始めた3Pシュート。今では浅井の武器となっているが、花が開いたのはこの試合からだった。

そして迎えた最終学年。夏にはU18日本代表に選ばれるなど一気にポテンシャルを開花させた。しかし、代表活動により、主力を欠いた福大大濠はインターハイでは早々に敗れ、冬のウインターカップでの優勝を狙った。このウインターカップ出場権をかけた福岡県予選で浅井はバスケ人生最大の”悔しさ”を体験する。

当時の福岡県は福大大濠、福岡第一高校の2強。福岡第一も代表活動でインターハイで早々に敗退。後に、”事実上のウインターカップ決勝”と呼ばれる県予選決勝で激戦の末、71-79で福岡第一が本戦出場の切符を手に入れた。

「終わった瞬間涙が溢れ出て悔しさがこみ上げてきました。ウインターカップには出られないんだって。なにより悔しかったのは同部屋の同級生を試合に出場させられなかったこと。終わったあと、その選手に『ありがとう』と声をかけられ、涙が止まらなくなりました。バスケ人生で一番悔しかったし、一番泣いた試合でした」

福岡第一は本戦で、松崎裕樹選手(現・横浜ビー・コルセアーズ)、河村勇輝選手(現・横浜ビー・コルセアーズ)を擁し全国でも全試合20点差以上の快勝で全国制覇を達成。結果として、福岡第一を一番追い詰めたのは福大大濠だった。

挫折を乗り越え

「中学時代にインカレで筑波大学を見てその時から漠然と憧れがありました」

中学時代から目指していた筑波大に入学した浅井だが、よりハイレベルな環境に人生で初めての挫折を喫する。

「2年時ごろからスタートとして出場していましたが、すぐに交代し、その後は出られないなどが度々あり、中々自分の思った通りには行きませんでした。メンタル的にも辛かった時期が続きましたが、4年生で結果を残そうと奮起し、練習に励みました」

4年生に入るとスタートとしてコンスタントに試合に出場。得意の3Pシュートで勝利にも貢献し、着実に成長を重ねた。

「苦しかった時期もここで辞めたら、送り出してくれた親に申し訳ないという思いがありました。しっかりと最後まで頑張り通せたモチベーションの一つだったと思います」

こうして学生最後の集大成。インカレが始まる。優勝を目指し、チームで団結を固め、初戦に臨んだ。相手は1回戦を劇的に勝ち抜いた中京大学。2Qで点差を広げられるも、「自分たちのバスケをすれば勝てる」と信じ戦い続けた。4Qで逆転に成功するが、終盤3Pシュートを決められ、これが決勝点に。浅井の最後の学生バスケは不完全燃焼で終わった。

「本当に負けたの?と呆然としてしまいました。喪失感というか、正直本当によくわからなかったです」

引用:CSPARK”【バスケ】中京大学が超人軍団・筑波大学を下しベスト8進出!さらなる高みにたどり着けるか!? | インカレバスケ2022 "2022-12-08" https://youtu.be/29jtsN8uBM8

辛い時期も続いた大学4年間だったが、大きな収穫もあった。

「プレー面だけでなく、高校とは違い何でも与えられるわけではないので考える力は身につきました。自分がどうやったら上手くなれるか常に考え成長することができたと思います」

悔しいことの多かった学生バスケ。しかし、一歩一歩夢のプロバスケットボール選手への助走を重ね、Bリーグへ歩みを続ける。

体を温め一気に駆け抜ける

昨年12月に特別指定選手としてロボッツに加入。大学4年間を過ごした茨城で初のプロキャリアを送ることになった。

ここまで、出場機会を得られていない浅井。しかし、毎日の練習で準備を重ね、虎視眈々とデビューを狙う。

「得意なことはシュートだと思うので、そこをもっと磨いて、基礎として築いていきたいです。ディフェンスや判断力、3番としての能力は足りないので磨いていきます」

中学時代に高いレベルを見たこと。高校時代に3Pシュートを身につけたこと。大学時代に考える力と挫折を経験したこと。これら全てはこれからポテンシャルを開花させるための助走だったのではないだろうか。充分なまでに体を温め、一気に走り抜ける。浅井はこれから一瞬で大きくなるだろう。目を離さず、成長する彼を見守っていこう。

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