#18 大庭圭太郎  ~扉を開いていく~

取材:文:佐藤 拓也 text by Takuya SATO

写真:茨城ロボッツ photo by IBARAKI ROBOTS

9月2日に特別指定選手として登録された大庭圭太郎。スピードを武器とした20歳のPGは即戦力として期待されている。ただ、大学2年まで全国大会出場経験はなく、華々しい経歴を持っているわけでもない。そんな大庭がなぜプロの世界にたどり着いたのか。バスケとの出会いからこれまでを振り返ってもらった。

中学3年生での成功体験

バスケットボール経験者の両親の影響で大庭は小学校3年生からバスケをはじめたが、面白さに気づいたのは中学3年生の時だったという。

「怒られることも多く、あまり結果が出なかったので、面白いと感じなかったんです。そんなにバスケは好きではありませんでしたし、やめようと思ったこともありました」

小中学校時代のバスケへの感情は決してポジティブなものではなかった。

大庭が生まれ育った福岡県福岡市はバスケのレベルが高く、大会で勝ち進むことができず、悔しい思いを積み重ねていた。

「福岡は激戦区で、特に僕たちの時代の福岡市の中学校は全国レベルのチームが2つあって、県大会出場権の残り2枠を他のチームが争うという形でした」

当時をそう振り返る。

それでも、中学3年時に地区予選を突破。ついに県大会への出場を果たす。

「自分の中で大きな出来事でした」

結果が出ず、バスケを面白いと思えない状況でも続けてきた努力が中学最後の大会で結実した。バスケ人生初の成功体験が大庭の新たな扉を開いた。

秦野監督との出会い

そして、高校は広島県の如水館高校に進学。他県の高校に進むことを決めたきっかけは母親からのアドバイスだった。

「母は広島県出身で、如水館高校のOGなんです。母の高校時代、広島県の美鈴が丘高校で監督を務めていた秦野誠次先生が素晴らしい指導者で、『秦野先生の指導を受けたかった』と言っていました。それで、僕が高校進学する時、秦野先生は如水館高校で監督を務めていたので、『如水館高校で秦野先生に教えてもらうのがいいんじゃないか』と言われて、行くことを決めたんです」

秦野監督の出会いを、大庭は「バスケ人生のターニングポイント」と言い表す。3年間でプレーヤーとして大きな成長を遂げた。その実感を得ることができた。

「ミスをしないことやスピードをつけること。その上で状況判断をしっかりするといったガードとしての基本を叩き込まれました。そして、自分の強みであるディフェンスに関しても丁寧に教えていただいたおかげで、大きく成長することができました。今の自分があるのは秦野監督のおかげと言っても過言ではありません。母のアドバイスは間違っていなかったと思っています」

さらに大庭に大きな影響を受けたのが、秦野監督から勧められた「読書」であった。

「高校時代、個人的に一番大きかったのは監督が本を読ませてくれたことです。それまであまり本を読むタイプではなかったんですけど、監督からバスケの戦術本や一流選手の考えや生き方が記された本を渡されて、その本を読んだ感想をレポートとして提出することを求められたんです。本を読むことによって、攻め方にも守り方にもいろんな方法があることを知りましたし、それまで感覚的にプレーしていたことが頭の中で整理して、引き出しの中から選択してプレーできるようになったんです。考えながらバスケできるようになりました」

着実に進化していることは分かっていた。とはいえ、「自分がどこまで通用するかは分からなかった」と振り返る。

最上級生になるタイミングで、世界中で新型コロナウイルスの感染が拡大。日本も例外でなかった。その影響によって、インターハイが中止となってしまったのだ。

「自分が3年間でどこまで成長できたかを確かめる場がなかったんです」

積み上げてきた力の答え合わせ

それでも、高校3年間で自らの進化を感じていた大庭は「プロになりたい」という思いを強く持つようになっていた。そこで進学先として選んだのが九州の強豪校・九州共立大学だった。

「如水館の先輩が進学して、試合に出ていたんです。如水館のガードは歴代プレースタイルが似ているので、自分も通用すると思いました。また、コロナ禍で大学の試合を見ることはできませんでしたし、自分のプレーも見てもらうことができませんでした。そういうこともあり、先輩が主力としてプレーしているという情報を頼りにして決めました」

それだけではない。最大の理由は現役時代にライジング福岡(現ライジングゼファー福岡)などでプロとして活躍した川面剛監督に指導してもらいたいと思ったことだった。

「川面監督にはプロになるためのマインドを教え込まれましたし、プレーヤーとしてすごい人だったんで、プレーで見本を示してくれるんです。見てプレーを学ぶことができたんです」

特に、川面監督は現役時代、大庭同様、スピードを武器としたガードとしてプレーしていただけに「学ぶことが多かった」という。1年時から主力として起用され、試合経験を積んでいった。

そして、大学2年時に挑んだ新人インカレ(全日本大学バスケットボール新人戦)で大庭は鮮烈な全国デビューを飾った。

初戦となった日本大学戦。「その試合に自分の持っている力をすべて出し切ろう」という気概で臨んだ大庭は持ち前のスピードとフィジカルの強さを発揮し、攻守で圧倒的なパフォーマンスを披露してみせた。試合は72対94の敗戦を喫したものの、大庭自身は30得点を挙げる活躍を見せ、その名を大学バスケ界に轟かせた。

「その試合で大きな自信をつかむことができました。正直、勝てるとは思っていませんでしたが、その中で自分がどれだけできるかワクワクしながら試合に臨みました。とにかく楽しかったですし、自分がここまでできるようになっていたことに驚きました」

高校時代から積み上げてきたことに対する答え合わせ。想像以上の結果を得ることができたのだ。大庭の未来に大きな光が差し込んだ瞬間であった。

「スピードが通用したし、フィジカルもまったく問題なかった。自分も全国レベルでやれるんだと思えるようになりました。それ以降、プレーに余裕が生まれ、今までとは違う視線でバスケができるようになったんです。とにかくバスケが楽しくなりました」

退路を断つ決断

そして、今年6月に九州で開催された試合に出場した際、大庭のプレーが視察に訪れていたマーク貝島GMの目に留まった。

「強度の高いディフェンス、驚異的なスピードと確実な判断力に強く惹かれ、7月に練習に参加をしてもらいました」とマークGM。

その結果、「マインドセットやプレーの質の高さ、そして何よりもチームへの溶け込み方を見て、今シーズンからB1のチームで長期的に貢献できる大きな可能性を感じた」ことから、まだ大学3年生ながらも、獲得することを決断。正式なオファーを伝えた。

「まさかまさかだったので、ビックリした記憶しかないです。心と頭の整理をするのに時間がかかりました。自分は学生時代に実績があるわけではないので、B1クラブからオファーが来るなんて想像したこともありませんでした」

話を聞いた時の驚きは大きかった。でも、「認めてもらえたことはすごく嬉しかったし、今までやってきたことは間違いじゃなかった」と、喜びを噛み締めた。そして、「二つ返事」でオファーを受けることを返答した。

現役大学生ということで、今シーズンは特別指定選手としての登録となる。ただ、この登録に伴い、大庭は大学を休学し、バスケ部を退部するという退路を断つ決断を下した。そこに並々ならぬ覚悟を感じずにはいられない。

「自分のやりたいことだったので、迷いはありませんでした。この状況で躊躇するようならば、この先トッププレーヤーになれないと思ったので、覚悟を決めました」

清々しい表情で大庭はその心境を説明した。

今はワクワクしかない

すでにチームに合流し、日々の練習でアピールを繰り返している。

「ロボッツは20歳の新人に対しても、すごくウエルカムで受け入れてくれて、アツさん(#25 平尾充庸)を中心にチームに馴染みやすい雰囲気を作ってくれました。ストレスをまったく感じることなく、過ごすことができています」

プロ1年目だろうと、特別指定選手だろうと、コートに立てば関係ない。チームのために全力を尽くすのみ。今はまず開幕戦の出場を目指して奮闘している。

「一番の目標は試合に出ること。試合に出ないと、次のステップに進めない。まずは安定して試合に出ることを目標に頑張ります」

大庭はそう力を込める。

そして、「試合に出たら前からディフェンスを仕掛けて、ディフェンスからチームの流れを作りたい。チームで一番プレッシャーをかけられる存在になりたいと思っています。オフェンス面では特長であるスピードを、ロボッツのスタイルの中で出す。チームの流れを変えられるような選手になって、チームに貢献したい」と意気込みを口にした。

大学2年での全国デビューからわずか1年。プロデビューの瞬間は着実に近づいている。次から次へと扉が開かれていく。だが、そこに気負いはない。未知なる世界へ足を踏み入れることへの高揚感に大庭の胸は満ち溢れている。

「周りは自分より実力も経験も上の選手ばかりなので、僕が緊張しても何もいいことはない。当たって砕けろというより、自分のやることをやってやろうという気持ちを持てるかどうか。今はワクワクしかありません」

新たなステージに駆け上がる。

もっとすごい未来が、大庭圭太郎を待っている。

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