写真:茨城ロボッツ、B.LEAGUE photo by IBARAKIROBOTS,B.LEAGUE
2012年10月31日。全国タイトルを26回獲得した名門パナソニックトライアンズの廃部が正式発表された。そのチームにキャリア一年目のルーキーとして入団していたのは、現在の茨城ロボッツキャプテンの#25 平尾充庸。
キャプテンとして3シーズン、大一番でのプレーや熱い言葉でチームを鼓舞。B1昇格、オールスター出場を達成し、ロボッツの顔・大黒柱としてコート内外から愛される存在だ。1年目の平尾・チームに訪れた休部の決定、そこから全員で掴み取った栄冠を振り返り、現在の平尾に与えた影響を前編に続き、紐解いていく。
迎えた最後の挑戦
前年(2012年)に休部が決まり、ラストイヤーとして迎えた2013年1月の天皇杯。リーグ戦ではプレーオフ進出に向け苦戦が続いていたが、再び一丸となったパナソニックトライアンズは天皇杯に標準を当てた。パナソニックトライアンズの前身チーム「パナソニックスーパーカンガルーズ」の復刻ユニフォームを纏い、最後の天皇杯へ向かう。
初戦のTGI D-RISE、準々決勝の日立サンロッカーズ(現:サンロッカーズ渋谷)は無事勝利。初戦は現在チームメイトの#8 多嶋朝飛、準々決勝は2シーズンを共にした小林大祐選手(現:アルティーリ千葉)との対戦とロボッツファミリーが交わった瞬間でも合った。平尾自身、初戦では12分56秒出場・6得点と途中出場ながらチームに勢いを与えた。
「当時はスピードや身体能力を生かして場をかき乱す役割でした。流れを変えてほしいときに出場し、リズムを掴んで他の選手に受け渡していました」
当時の映像を見ると今と変わらずコート上で大きな声を出し、チームを鼓舞。大学の頃から意識し始めた声出しはJBL、NBL、Bリーグと磨きをかけながら続けられ、現在も平尾の武器の一つとなっている。
そして迎えた準決勝。当時天皇杯3連覇を目指すトヨタ自動車アルバルク(現:アルバルク東京)との対戦となった。第3Q終わって16点リードと勢いづくも、第4Qで猛追を受ける。
「アウトサイドシュートを高確率で決められてしまい、苦しい展開になってしまいました。当時は、ジェフ・ギブス選手(現:長崎ヴェルカ)など強力なインサイド陣もいましたが、パナソニックも内外バランスよく得点し、勝利をつかむことができました」
金丸晃輔選手(現:三遠ネオフェニックス)の29得点の活躍もあり、ついに決勝に駒を進める。
決勝の相手はこのシーズン(JBL2012-13シーズン)を結果的に優勝で終えるアイシンシーホース(現:シーホース三河)との対戦に。優勝に向けて最後の厚い壁に向かうチームだったが、最初の試練は試合前に訪れた。
最後の挑戦で頂点へ
2013年1月14日。パナソニックトライアンズ最後の天皇杯の戦いへ。チームの集大成を迎え、全力で決勝戦へ挑もうとしていた。しかし、この日試合前にあるアクシデントが待っていた。
この日、関東地方太平洋側の広い範囲で大雪を観測。東京都心では8cmの積雪も確認され、交通網に大きな影響を及ぼした。国立代々木競技場第一体育館で行われた決勝戦にも影響が及び、パナソニックトライアンズの到着が遅れ、TIPOFF時間が20分遅延となった。
「タクシーが雪の影響で動かなくなってしまい、かなり焦りました。代々木第一体育館の手前に坂があるのですが、タクシーで登れず、歩いて会場に向かいました。中にはサンダルの選手もいて、会場に着いてからは足を温めることからスタートしました」
会場に着き、アイシンから遅れてアップを始め、決勝戦がTIPOFF。万全ではない中、最後の挑戦が始まった。序盤はなかなかリズムが掴めず、リードを奪われる。平尾自身1Q終盤で出場するも、ダブルチームをかけられてしまい、ターンオーバーから失点を許す。
「柏木さん(柏木真介、現:シーホース三河)、ジェイアール選手(桜木ジェイアール、現:越谷アルファーズSVC兼選手)にダブルチームをされ、苦い思い出になりました。当時、かなり遠慮していましたし、準備不足だったと思います。経験もない中で出場し、役割を果たせませんでした」
アイシンのペースで試合は進むが、終盤はパナソニックもインサイド陣の活躍もあり、徐々に点差を縮める。
「パスも捌ける、得点も取れるジェイアール選手を上手く抑えることができ、流れをつかむことができました」
フリースローを確実に決めきり、逆転に成功。最後は金丸選手が柏木選手のシュートをブロックし、ブザーが鳴る。見事、休部発表から最後の天皇杯で16年ぶり10回目の優勝を達成。ベンチからも選手が飛び出し全員で喜びを分かち合った。
「嬉しかった気持ちもあるのですが、何よりまずホッとしました。全員で取りに行こうと話し合って獲得したタイトルだったので本当に嬉しかったです」
平尾としても初タイトル。チームの混乱から一変し、全員で掴み取った優勝となった。
進むべき道を前進
天皇杯優勝から2ヶ月以上が経過した2013年3月24日。パナソニックトライアンズのラストゲームが終了した。ブレックスアリーナ宇都宮で行われたリンク栃木ブレックス(現:宇都宮ブレックス)との試合には3000人を超える観客が詰めかけたものの、結果は30点差以上をつけられ大敗。2ゲーム差でプレーオフ出場を逃し、パナソニックトライアンズの歴史が終わった。
「応援してくれた方々に申し訳ない試合を見せてしまいました。試合終了後、ロッカールームに帰り、悔しくて涙が流れました。負けたことが辛かったのではなく、最後まで戦い続けられなかったことに悔しさを感じていました」
最後まで全力を尽くす。今でも平尾がよく口にする言葉だが、この頃から軸はぶれていない。
平尾にとって、キャリア1年目を過ごし、初タイトルを獲得したパナソニックはどんなチームだったのだろうか。
「ベテランも多い中で、客観的に見ても、すごく仲の良いチームだったと思います。当時のベテラン選手は今の自分と同い年くらい。その人達がやるときはしっかりとやり、いい雰囲気を作ってくれるから、溶け込みやすかったし、すごいいいチームでした」
そこからの平尾はブースターの皆さんが知るとおりだろう。移籍した東芝ブレイブサンダース神奈川ではNBL初年度で優勝、広島ドラゴンフライズではメインのポイントガードとして再び天皇杯の決勝に立ち、創部1年目で準優勝に上り詰めた。その後は、バンビシャス奈良そして茨城ロボッツへ。キャプテンに就任した2020-21シーズンでは、ロボッツを初のB1昇格に導いた。
キャリア11シーズン目を迎えた平尾。1年目は目標を見失い、モチベーションがなくなった時期もあったが、日本一、キャプテン就任、B1昇格、オールスター出場を達成し、バスケットボールに常に真摯に向き合ってきた。インタビュー終了間際、平尾の今の目標を聞くと、
「その時によって変わるものではありますが、今の目標は子どもたちにお父さんは『プロバスケットボール選手』と認識されるまでプレーし続けることです。上の二人は少しは理解できているかもしれませんが、一番下の子はまだ3歳なので、全員がしっかりと認識できるまでは現役でいたいです」と話す。
ロボッツが誇る”頼りになる漢”にも苦悩し、進むべき道がわからなくなることもあった。しかし、常に前を向き続けたからこそ、道は開けていった。一本筋を通すまで時間はかかったかもしれないが、現在に至るまで確かにその道は続いているのではないだろうか。